初対面なのに名前を… 田中角栄の1対1で向き合う力
「秋山くん」ってなんだ? なんで僕らの名前を知っているんだろう? ありえない……。全員が角栄とは今日、初めて会った。こちらは角栄を知っているが、ついこの間まで学生だった人間の名前を角栄が知っているはずはない。
おかしい……。あっけにとられている野口を尻目に角栄はどんどん名前を呼んでいく。しかも間違えることなく正確に。そしてとうとう最後まで一人残らず20人全員の名前を角栄はそらんじてみせたのだった。
「あいうえお」順に並んでいるのはあらかじめ分かってはいただろう。それでもメモも見ず秘書官が後ろで耳打ちすることもなく一人ずつ名前を言い終えたのだ。少々のことでは動じない野口もこれにはさすがに驚いた。
秀才中の秀才たちを制する
当時、大蔵省には「三冠王」がぞろぞろいた。東大をトップクラスの成績で卒業、司法試験に学生時代に合格し、公務員試験もこれまたトップクラス――。
三拍子そろった秀才しかその門をくぐることを許されなかった。そんな日本の秀才中の秀才たちの目の前で角栄はこう言いたかったのだ。
「どうだ青二才たち、確かにおまえたちは頭はいいかもしれない。だが、人間としての力は俺のほうがおまえたちより一枚も二枚も上手だ」
そして圧倒的な自分の能力を有無を言わさず見せつけたのだった。
何てギラギラした男なんだ……。20人くらいの人の名前なら、野口だって頑張れば覚えることはできる。できはするが、官僚である以上、決してそれはしない。なぜなら失敗するリスクがあるからだ。間違える可能性がある限り官僚はそれをしない。
衆人環視のなかで人の名前を間違えるのは致命的だ。取り返しがつかない。だからそんな失敗するリスクを官僚は決してとらない。しかし、角栄はやった。
「どうだ、おまえたち官僚とは違う。俺は肚(はら)で勝負するんだ」。そう言っているようだった。
角栄の凄味、岸の巧妙さ
野口は言う。「角栄のこういったところが凄味(すごみ)だ。同じ政治家であっても商工省次官まで務めた官僚出身の岸信介とまったく違う。対照的だ」
岸ならどうか。
パーティーで名前をうっかり忘れた人に会った場合、まず岸はこう言う。「君の名前は何だったかな」。相手が例えば「野口です」と答えるとする。次はこうだ。「違うよ。それ(名字)は知っている。僕が聞いているのは下のほうの名前だ」