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2度目の死にかける経験は小学1年生で

自転車に乗っていたら倒れてしまい、左足が下水口にはまって動けなくなりました。気付いたら目の前のバスが、私に向かってバックしてきました。

迫り来るバスを必死で押しましたがびくともしません。ありったけの声で助けを求めました。「もうダメだ、死んでしまう」と思った時、近くにいたおじさんがバスを止めてくれました。あまりの恐怖にお礼も言えず、家まで走って帰り、一日中泣き続けていました。この時のゆっくり、ゆっくりと迫り来る恐怖体験が、後に手掛けたゲーム機「ワニワニパニック」という名前に結びついたのかもしれません。

父は運送会社を経営も廃業へ

父は砂利の運送会社を経営していて、私が小さい頃は羽振りもよくて、1000万円以上する大型トラックを乗り回していました。でも、私が小学3年生の頃、採掘市場が低迷して経営が苦しくなりました。従業員にお金を持ち逃げされたとも聞きました。ご飯が食べられないという状況ではなかったですが、家に借金取りが来た記憶もあります。

新しい服を買う余裕はなく、いつも母の手編みのセーターを着てました。新品の机やTシャツを買ってもらう友達を羨ましく思った時期もありました。

小学校では図画工作が好きでしたが、必ず私よりうまい女の子がいて1番になれませんでした。小学校ではソフトボールと剣道を、中学校ではバレーボールをやりました。

高校生になると父の会社は事実上廃業になりました。仕事を求め両親は大阪に行き、私と弟は1年間、岩国市内の親戚の家に預けられました。

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石川祝男
いしかわ・しゅくお 1978年関西大文卒、ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)入社。2006年バンダイナムコゲームス(現バンダイナムコエンターテインメント)社長に就任。09年バンダイナムコホールディングス社長、15年会長、18年6月顧問、19年6月退任。山口県出身。
[2018年10月4日付 日経産業新聞]

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