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――会長が亡くなった翌月も発行を止めなかったそうですね。

「発行日は毎月1日。毎号、ちょうど前月の20日ぐらいから書き始めています。16年8月21日に会長が亡くなったのですけれど、その翌月も休むことなく出しました。実は、会長が亡くなったとき、会社から電話がかかってきて『次の号は1回、休みましょう』と言われたのです。その時に、自然と『えっ、どうして?』と思う自分がいました」

「電話をしてきた幹部に対して、『それは私に対する配慮なのか、お客様に対する配慮なのか』と聞きました。すると、『久美さんに対する配慮に決まっています』と言われ、『私に対する配慮はいらないから、出しましょう』と言いました」

「会長が亡くなったことはニュースになっていましたし、『てばさ記』を休刊にして、それを会社としてどうやってお客様に知らせるのかと思ったのです。何事もなかったように休んで、次の号を普通に出すのも変ですし、1カ月後に会長が亡くなったことを知らせるのも変ですよねと。悲しくて『書けない』となってしまうのが普通かもしれないのですが、『てばさ記』を休刊するのは『違う』と思い、『仕事だから私は書きます』と伝えました。それまで意識したことはありませんでしたが、その時、『私も会社のことをこれだけ思っているのだ』と実感しました」

「記事を書くためには、情報を集めないといけません。社長に就く際も、『てばさ記』を書いていたおかげで、会社のこともある程度はわかっていたのです。会長からよく会社のことを聞いていましたし、本部の企画から『今月はこんなことがありました』ということも教えてもらっていました」

――社長就任の決断について、幹部にはどう話をされたのでしょうか。

バスケットボール経験者の山本久美社長は自ら「体育会系」という

バスケットボール経験者の山本久美社長は自ら「体育会系」という

「会長が亡くなってから2週間ほどしてからだったでしょうか、幹部を集めて、今こそ皆さんの力が必要な時ですから、一緒に頑張っていきましょうという話をしました。私はもともとバスケットボールをやっていて体育会系。本当は『ついていらっしゃい』と言いたいところでしたが、そうは言えません。会社のことは会長からある程度聞いていたとはいえ、お店のことはわかりませんし、社内の細かな状況までは把握できていませんでした。ですから、社員には『ちょっと年をとった新人が入ってきたと思って一から教えてください』とお願いしました。『私も一つひとつ覚えていくので、一緒に会社を成長させてください』と」

「当時はお取引先も心配してザワザワしていましたので、お取引先にも会って話をしました。教師をしていた前職の経験がありましたから、組織をまとめるというか、全体がバラバラな方向に向かないようにすることだけは心がけていました」

「社長を引き受けると決めたとき、子供たちにも協力してね、と話しました。子供たちに対しては、背中を見せることしかないと思っています。朝食は必ず、家族4人で一緒にとることにしています。朝練に行く子がいたら、その子が出る時間に合わせて朝食を食べますから、朝はかなり早い。大抵、午前6時半前には朝食を食べています。夕食に関しては、遅くなる日は、温めるだけで食べられるものを作って出て行きます」

◇  ◇  ◇

来週公開の後半では、小学校の教師時代、バスケットボールのクラブチームを全国優勝に導いた経験を生かした、独自のマネジメントを紹介する。

(ライター 曲沼美恵)

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