引く時を考えて物事を前に進める 田中角栄の突破力
日本は日米繊維交渉が始まって以来、一貫して関税貿易一般協定(GATT)の「被害なきところに規制なし」の筋論で米国の主張を突っぱねてきた。
自由貿易のルールを定めたGATT19条によると、特定産品の輸入規制を例外的に認めているが、被害が立証されない限り規制はない。「日本の毛・化合繊は米国に対し何ら被害を与えていない。だから規制は必要ない」。日本はこのGATT19条を盾に米国と戦ってきた。それを貫くのが通産省の方針だった。
角栄はどう出てくるか。戦々恐々の官僚たち
問題は角栄だ。角栄はどう出てくるか。果たして受け入れるのか――。事務方は戦々恐々だった。しかし、角栄は静かだった。これまでの経緯と今後の見通し、日本のスタンスについての説明を黙って聞き終わると最後に言ったのは一言だけだった。
「分かった。君らのいう通りでやろう」
そして9月の日米貿易経済合同委員会。決戦の時がやってきた。交渉が始まると角栄は一転、気を吐く。「自由貿易は自由貿易だ。筋論をそう簡単に変えるわけにはいかない」。
角栄は並み居る米国の通商幹部たちを前に堂々たる論陣を張った。通産省の官僚たちが事前に用意した答弁用の資料を完全に頭に入れ、さらに具体的な数字を交えて米国側とわたりあった。
「確かに日本の米国に対する繊維の貿易黒字は膨大かもしれない。しかし、日本と産油国との関係を見れば日本は貿易赤字である。貿易というのは二国間の関係だけで議論するものではない。多国間でバランスをとって考えるものだ。そういう理屈はあなた方(米国)に教えてもらった。そうじゃないですか」
目の覚めるような切り返しだった。
官僚の心をがっしりつかむ
角栄はこれまでの交渉の経緯を把握したうえで、通産省の事務方の主張を120%展開してくれた。「すごい大臣が来た」「感服だ」――。その交渉の姿は通産官僚たちの心をがっしりつかんだ。
ただ、良かったのはここまでだ。米国との交渉は、角栄の力量を見せつけ、通産省のトップたちの人心を掌握する点で訪米は大成功だった。しかし、交渉そのものは決裂した。