「田中角栄に学ぶリーダーの条件」をイッキ読み!

インフレや日米貿易摩擦、石油危機といった問題に直面するたびに、それらを何とか克服し、豊かな明日を信じて社会が前へ進んでいた時代。日本の戦後史において初の大衆政治家として登場した田中角栄は、次なる高みへと日本を導こうとしていた。側近などの証言をまとめた新刊『田中角栄のふろしき』(日本経済新聞出版社)で紹介された知られざるエピソードから、リーダーに求められる条件を学ぶ。
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【第1回】初対面なのに名前を… 田中角栄の1対1で向き合う力

45歳で蔵相に就任、「最強官庁」を率いた角栄。元大蔵官僚の野口悠紀雄は新人時代、同期と大臣室に招かれたときのことを鮮明に覚えている。なんと全員の名前を一人ひとりそらんじながら、順番に握手を始めたのだ。
【第2回】小学校卒が官僚を掌握 人を魅了する田中角栄の決断力

蔵相に就いた角栄は幹部を集め、こう演説した。「一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。誰でも遠慮なく大臣室に来てほしい。何でも言ってくれ。全ての責任はこの田中角栄が背負う。以上」

通産相に就任早々、日米繊維交渉の難局に直面した角栄。「新大臣はどう出てくるか…」と戦々恐々の官僚たちの説明を黙って聞き終えると、最後に一言だけ語った。「分かった。君らのいう通りでやろう」

角栄の宴席は毎晩3つ。午後6時からスタートし7時に2軒目、3軒目は8時から。どんなに長くても1時間を限度として、午後10時過ぎには就寝していた。そして午前2時には起き上がり、猛勉強を始める。
【第5回】葬儀に2度目はない 秘書官を叱責した田中角栄の礼節

秘書官を長く務めた元通産官僚の小長啓一。角栄から静かに、しかし厳しく叱咤(しった)されたことが忘れられない。関係者の葬儀を予定から外し、公務を優先させたときのことだ。
【第6回】「天の時」見定め国民福祉の大改革 田中角栄の実行力

天の時、地の利、人の和――。大事を成すリーダーに共通するのは、この3つの条件を兼ね備えていることだ。とりわけ大切なのが「時」。角栄は自らの旬を知り、エネルギーが最も充実した瞬間に成すべきを成した。
【第7回】秘密ひき出す大臣のお酌 田中角栄の「気配り」に学ぶ

通産相時代、角栄が宴席で酒を飲むことはほとんどなかった。代わりに相手につぐ。主賓であっても徳利(とっくり)を持ち、一人ひとり客についで回るのを常とした。なぜか。
【元秘書に聞く(上)】角栄というリーダー 列島改造論に官僚が結集

「こんな人の秘書官が務まるのか――。それが最初の印象でした」。通産相、首相と2回わたり、通産官僚として角栄の秘書官を務めた小長啓一はこう振り返る。
【元秘書に聞く(下)】絶頂だから「最も難しい問題」角栄がみせた即断

首相となった角栄。秘書官を命じられた小長が「何を担当するのですか」と尋ねると「何、言ってるんだ。日本列島改造論に決まっているじゃないか」と叱った。
=敬称略