「エアトリ」起業、大阪星光で聞いた神父の言葉が支え
吉村英毅・エボラブルアジア社長(上)
実家で会社の人を集めたパーティーを開くときなどにも出席し、仕事をする人たちを子どもの頃から見ていました。また、中学生になったころには、会社の事業計画発表会という経営会議にも同席させられるようになりました。私だけ子どもなのだけれど、一緒に座って、ひたすら経営の話を聞くのです。何度か出席するうちに、会議で話している内容もだんだんと理解できるようになる。ビジネスは魅力的だなと思うようになっていました。
小学校では話の合う友達がみつからなかった。

「朝の校内放送で、根本的な倫理観の大切さが少しずつ自分の身の中に入っていった」と話す
通っていた近所の小学校では、山岡荘八の本の話をしようにも、そんな本を読んでいる同級生はいません。学校のテストも毎回5分くらいで終わってしまって、私だけがいつも100点。なかなか気の合う友達はいなかったのです。そんなこともあって、自然と中学は私立を受験しようということになりました。
受験に関しては、母に感謝しかありません。私は3人姉弟で、姉とは2歳しか離れていません。3人ともピアノ、水泳、体操、知育教室、受験塾など、それぞれにかなりの数の習い事をしていましたから、母は車で3人をあちこちに連れて行き、帰りもそれぞれ迎えに行っていました。さらに、私が受験のころは、午後11時すぎに自宅に戻ってから午前2時ごろまで勉強していましたが、寝ずに待ってつきあってくれていました。これが3人分ですからね。とにかく献身的な母でした。
受験を経て大阪星光学院に入り、初めて「この人たちは面白いな」という友達に出会えました。将来の夢とか目標について話せたり、好きな本の話ができたりする、魅力的な友達がたくさんいた。楽しいなあと思いました。
先生方も魅力的でした。歴史の麻野博司先生は歴史を事実の羅列ではなく、流れの中で縦横無尽に話せる先生で毎回面白くてたまらなかった。学年主任で数学の先生だった宮本浩司先生の、規律を守る姿勢も印象に残っています。