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結婚を転機に、知財専門家へ

当時は「研究テーマに対して答えを出すプロセスを考えるのがおもしろかった」という。「どのような結果が出てくるのかもわからないなかで、それを追いかけることのおもしろさであったり、出てきた結果を解析するおもしろさであったり。プロセス次第で答えが出たり、出なかったりするため、それを自分で考えて自由に組み立てることに興味をそそられました。大変でしたけれども、他人からやれと言われて動いているわけではなく、自分自身の興味に駆られて動いていたので、楽しく感じました」

知財の分野にキャリアシフトする一つのきっかけは、ポスドク(博士研究員)1年目に結婚したことだった。「相手は公務員で転勤がありませんでした。海外留学も検討はしたのですが、東京に戻れるとは限りませんでした。研究職のポストは限られるため、その時、空いているポストに応募して就くしかありません。結婚している先輩たちの例を見ても、勤務地の違いから別居している人たちが多く、もう少し勤務地を選べる仕事に就いた方がいいのでは、と考えました。そんな時、知人から特許事務所で人を募集しているから行ってみないか、と紹介されたのです」

紹介された特許事務所へ面接に行ったものの、特許事務所の仕事がどんなものなのか、その時はまったく分かっていなかった。とりあえずインターンシップをさせてもらうことにし、約3カ月間、週に1回、半日だけ特許事務所に通った。それで気持ちが固まり、95年、特許事務所に就職することにした。

インターンシップ中は翻訳業務を多く手がけたという。ちょうど米国の大学で先端科学の特許出願が相次いでいた時期でもあり、それを日本でも取りたいという依頼が多かった。

日米で異なっていた大学特許への取り組み

「アメリカで特許出願をする場合は英語でしますが、同じ権利を日本でも取りたいとなれば、日本語で申請しなくてはなりません。特許というと企業が取るイメージが強かったのですが、翻訳業務を通じ、アメリカの大学が日本など海外でも積極的に特許出願していることを知りました」

当時、「日本の研究者の間では研究成果を特許出願しようなどという発想はほとんどなかったと思います」と本田氏は振り返る。頭にあるのはいかにして論文を書くか、学会で発表するか。特許事務所でインターンシップをしながら、海外から日本に入ってくる出願の中に大学名で出ているものが少なからずあるのを知り、特許に対する日米間の認識の差を肌で感じた。「このことは、後に東大TLOで技術移転の支援をする原点にもなりました」と語る。

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