「やぎになれ」に込めた思い 武蔵の群れない気骨
武蔵高校中学(下) 教育ジャーナリスト・おおたとしまさ

「武蔵らしさ」を示しているやぎ。どんどん食べて反すうする
進学校の強さを支える校風や伝統、生徒の課外活動に教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏が迫るこのシリーズ。武蔵高等学校中学校編の最後である今回は、学校で飼っているやぎに目を向ける。その小屋に掲げられた「ひつじになるな、やぎになれ」という言葉は、武蔵生に何を訴えているのか。そして40年近くも行われなかった修学旅行と、その復活劇に浮かんだ武蔵らしさとは何なのだろうか。
ひつじになるな!
新しくなった武蔵のエントランスのすぐ脇に木造の小屋があり、そこにはやぎがいる。ペットとして飼われているのとはニュアンスが違う。その存在自体が「本物にふれる」教材だ。
2011年、高1の選択必修講座「総合講座」として「やぎの研究」が始まった。いまでは学年にかかわらず、関心のある生徒が集まり、「やぎのひと」として世話をしている。
ある生徒はふんを堆肥にすることを考え、またある生徒は餌の量と反芻(すう)の時間との関係を調べた。出産後の胎盤を観察してスケッチする生徒もいた。それぞれのテーマを研究しながら、「人間の命を支える家畜という存在の命をどう解釈すればいいのか」という根源的な問いに向き合い続ける。
もともと武蔵には「豊作会」という課外活動の団体があった。東京ドーム1.5個分にもなる校地を利用し、放し飼いに近い形で鶏を飼っていた。卵は食べたし、絞めて食肉にしたこともある。しかし、鳥インフルエンザの世界的流行で途絶えた。
自然豊かな里山のようなキャンパスに家畜がいないのは、やはり不自然だとの考えから、数学を教える田中洋一教諭が家畜の必要性を訴えた。
しかし、なぜやぎなのか。
「やぎはどんな環境にも適応する頑健な動物です。それでいて四六時中、ふんをたれながら、ただひたすら食べている風景は無条件にほほ笑ましい。物事を難しく考えずに生きていく方法を教えられたような気分になって、ほっとします。人間社会では見いだしがたい悠長や無垢(むく)を見いだせるのです」と田中さん。