相次いだ不祥事も教材に 名門・麻布は失敗に学ぶ
麻布中学・高校(下) 教育ジャーナリスト・おおたとしまさ
2008年、運動会実行委員会のメンバーが校内で窃盗事件。とうとう教員主導で運動会を行うことを学校側が決定した。麻布の歴史において、これはある意味「中止」よりも重い通告だった。
2012年、次年度の文化祭に向けて、従来の文化祭実行委員会の系譜を受け継がない改革派の文化祭実行委員長・会計局長が立候補し、当選した。要するに政権交代だ。しかし守旧派メンバーがこれまでのノウハウの引き継ぎを拒否。しかもリコール運動を起こした。元与党による新政権への嫌がらせである。結局リコール運動は棄却されたが、文化祭・運動会の両実行委員の組織運営の構造的課題が露呈した。
その結果、守旧派との対立は2013年の文化祭当日まで続き、中庭ステージでは混乱も生じた。さらにこの年の運動会も不祥事の発覚によって中止されたことは前述の通り。
これを受け、生徒側と学校側での白熱した議論が展開され、文化祭実行委員会・運動会実行委員会のメンバー選出の制度が大きく変更された。これまでの直接選挙ではなく、クラスごとに選出された執行委員が委員長を選出する形になった。いわば大統領制から議院内閣制への移行である。
6年周期で運動会が中止!?
「2007年、2013年と6年の間をおいて運動会が中止になる大問題が起こっています。ちょうど生徒が入れ替わると起こるのかなとも思う」(平校長、以下同)
教員たちの憤りは、2008年の教員主導運動会実施に際して職員会議の名で発せられた以下の文書に見てとれる。
「今回の不祥事を知り、われわれ教員は驚き、あきれ、打ちのめされた。そして、またしても(!)遺憾の意を表明せざるをえない。(中略)われわれ教員は、この間の指導のいたらなさを痛感し、猛省している。生徒諸君にも、再度猛省を促したい。生徒・教員ともども、麻布学園にかかわるすべての者が、根本的な出直しを覚悟せねばなるまい」
「問題を起こしてからが本当の教育」とはいうが、そのためには根気も時間も必要なのだ。でも麻布の教育の真骨頂がここにある。不祥事を、単なる「困ったこと」としてフタをするのではなく、積極的に生徒たちが学ぶための「教材」にして、真正面から向き合うのだ。

運動会の様子
「この数年は全体的には良くなってきていると認識しています。しかし、2018年には、運動会実行委員会が規約にのっとらない形で発足し、問題化しました。そこでまたしても教員主導の運動会に切り替えました」
企画も、パンフレット作成も、招集誘導も、審判も、ぜんぶ教員がやった。
「そうしたら、生徒たちはむしろ喜々として教員の言うことを聞いていて、ちょっとがっかりしちゃいました。そういう意図ではないのですが……」
不祥事は困るが、元気がなくなってしまうのでは意味がない。
「失敗の反対は成功ではありません。挑戦した結果であるという意味では失敗も成功も同じです。麻布の自由は何のためにあるかといえば、挑戦するための自由だと思っています。生徒たちには、失敗に萎縮しないで、失敗から学び、挑戦し続けてほしいと思います」(平校長)
6年周期のジンクスを跳ね返し、2019年の運動会は無事開催された。
創立は1895年。戦後中高一貫体制になってから一度も東大合格者数ランキングトップ10から外れたことのない唯一の学校。しかし一度も1位にはなっていない。1学年は約300人。2019年東大合格者数は100人。東大・京大・国公立大学医学部合格者数の直近5年間(2015~2019年)平均は130.6人で全国7位。卒業生には、福田康夫元首相、前川喜平元文部科学省事務次官、社会学者の宮台真司氏、アナウンサーの桝太一氏などがいる。
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