変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

「僕は社長室にいるときドアを開放していて、誰でもいつでも入ってきて話しかけていいことにしているんです。でも、最初はあまり人も来ないし、おそるおそるのぞいていただけ。会議をしても、発言もない。今まで指示待ちだったんだなと感じました」

――社内の雰囲気はだいぶ変わりましたか。

「変わりましたが、変化を実感するまでに2年かかりました。19年6月期の決算(連結決算は純利益が前の期比2.7倍の3億6800万円)が出るまで心配で心配で、いろんなことを自分でチェックしていたのですが、7月からの新年度に入ってからほとんど何も言わなくなりました。社長室にもどんどん社員が入ってくるようになりました」

自発的な提案が続々と

「今はいろんな部署から自発的な提案が次々出てきます。商品開発もいろいろな意見が出るようになりました。例えば、大豆たんぱく質を使って唐揚げを再現した『罪なきからあげ』は健康意識が高い40歳代女性社員の発案ですし、まもなく発売のハッシュドポテトのスナック菓子は入社2年目の女性が考えました。手に油などがつきにくく、包装にはジッパーをつけて食べかけでも置いておけるようにしたのは、オフィスでの『ちょこっと食べ』を意識した、若い女性ならではの発想です」

「元気な新人がどんどん提案するのをみて、中堅がうかうかしていられないという意識も出てくるなど、いろんな変化が一気に動いています」

「元気な新人がどんどん提案するのをみて、中堅がうかうかしていられないという意識も出てくるなど、いろんな変化が一気に動いています」

「甚大な被害をもたらした先日の台風19号の際は、防災の備えとしてスナック菓子の需要が高まるから増産してほしいといった要望が営業からさっと上がってきました。最初は文書でやり取りしていたことも、だんだん口頭で『よし、それでOK』みたいなスピード感で動いています。元気な新人がどんどん提案するのをみて、中堅がうかうかしていられないという意識も出てくるなど、いろんな変化が一気に動いています」

――組織が回り出したということですか。

「そう。これを見るのは最高にうれしいです。もうこうなると、僕の仕事は9割がた終わったなと思うほどです」

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佐藤章
1959年東京都生まれ。82年早大法卒、キリンビール入社。97年にキリンビバレッジ商品企画部に出向。99年に発売された缶コーヒー「ファイア」を皮切りに、「生茶」「聞茶」「アミノサプリ」など、年間1000万ケースを超える大ヒットを連発。2008年にキリンビールに戻り、九州統括本部長などを経て、14年にキリンビバレッジ社長、15年にキリン取締役常務執行役員。16年にフレンテ(現湖池屋)執行役員に転じ、同年9月から現職。

(藤原仁美)

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