絶頂だから「最も難しい問題」 田中角栄がみせた即断
元秘書・小長啓一氏に聞く(下)

小長啓一 元首相秘書官
田中角栄が総理大臣を務めたのは1972年7月から1974年12月までの886日。歴代首相のなかでは決して長い方ではない。しかし、限られた期間に実に多くの仕事をした政治家でもあった。通商産業相(現在の経済産業相)時代から首相時代まで2回にわたり、通産官僚として秘書官を務めた小長啓一氏(89)に強力なリーダーの資質を聞いた。後編は「決断力」と「実行力」。
<<(上)田中角栄というリーダー 列島改造論に官僚は結集した
――田中角栄さんの資質の高さに「決断力」と「実行力」をあげる人は多いですね。
「田中さんが第64代の首相になられたのは1972年7月7日。通産相の秘書官だった私はテレビで田中さんが総裁選で勝ったことを確認すると『激務から解放される』と一息ついたような気になったのを覚えています。しかし、その後、田中さんから『やってもらいたいことがある。引き続きよろしく頼む』との連絡があり驚きました」
「日本列島改造論に決まっているじゃないか」
「私が『何を担当するのですか』と尋ねましたところ、田中さんから『何、言ってるんだ。日本列島改造論に決まっているじゃないか』と叱られました。今思えば田中さんの著書である『日本列島改造論』ができるまで私は田中さんのレクチャーをその場でじっくりと聞いていましたから『日本列島改造論』を具体的な形にする際に私が役立つのでは、と思ってくださったのではないでしょうか」
「田中首相の誕生は多くの人たちに好意的に受け止められたようです。『小学校卒の首相』『庶民派宰相』と世の中の人たちの期待も高いものがありました。支持率は60%にもなりました。非常に高い支持率でして、これは約20年後、1993年に細川護熙さんが政権をとるまで破られることはありませんでした」