「出世」しなかった孔子の夢 素顔の聖人、史記が刻む
司馬遷「史記」研究家・書家 吉岡和夫さん
史記に限らないかもしれませんが、歴史の中で激しい権力闘争を演じるのは、それなりに有能な者ばかりです。権力を得る、あるいはそれを長く守る知恵を絞るのは有能だからできることですが、孔子のような人物がそれを打ち破るのは至難の業でした。偉くなること自体を目的とする出世欲とは無縁だからです。
孔子は周王朝の創始者である武王の弟、周公旦(しゅうこうたん)を尊敬してやみませんでした。武王の死後、旦は王になれる立場でありながら、兄の子をもり立て、即位させ、王朝初期を献身的に支えました。論語には孔子が「甚だしいかな、わが衰えたるや。久しいかな、われまた夢に周公を見ず」(ひどく私ももうろくしたものだ。ずいぶんになるよ、夢に周公旦が現れなくなって)と嘆息したことが記されています。のちに聖人と呼ばれる人物が、若き日、毎晩のように夢みていたのは、金や権力ではなく、憧れの人物でした。
孔子と並べて語るのはおこがましいのですが、私も銀行のあるべき姿についてささやかな理想を持ったことがあります。しかしそれはただの夢でした。採用面接のときだったと思います。応募の動機を聞かれて「地味で堅実な仕事がしたい」と答えると「今の銀行に地味で堅実な仕事など存在しない」とあっさり打ち消されました。そして当時は全くその通りでした。「稼げない者は去れ」と耳にしたこともあります。目先の損得を前にすると、理想は空理空論とされてしまいやすいものかもしれません。
司馬遷は孔子を「至聖」とたたえる前段で、こんなことも書いています。天下の賢人は多いけれども、みな一時の栄誉で終わっている。孔子は無位無官の身でありながら、その教えは後代まで長く伝えられ、学者たちの基礎となり、六芸を語る者の手本となっている、と。まさに中国文化のバックボーンとして、現実の世を動かす存在になりました。「出世」とは何かと改めて考えさせられます。
次回、孔子について、もう少しふれたいと思っています。
