「現場も両利き」トヨタのすごみ ハーバードの視点
ハーバードビジネススクール名誉教授 マイケル・タッシュマン氏(下)
佐藤 たとえば「これまで製造していた写真フィルムやビデオテープがどんどん売れなくなっていく」というような危機に直面すれば、切迫感をもって新規事業に取り組めると思うのですが、平時にも緊張感をもって「新領域の探索」を行うにはどうしたらよいのでしょうか。
タッシュマン おっしゃるとおり、社員は危機的状況にあるときのほうが「探索と深化」に真剣に取り組む傾向にあります。企業がV字回復に成功するとそれまでの緊張感が薄れていき、やがて社員は惰性で仕事をするようになり、変化に迅速に対応できなくなります。こうした中、再び「新領域の探索」を一から始めましょう、といってもなかなかうまくいかないでしょう。だからこそ経営者が意識して実験的なビジネス、実験的なプロジェクト立ち上げ続けることが必要なのです。
2つのギャップが経営者を動かす
リーダーが「この会社は本気で変わらなくてはならない」と認識するのは、どのような状況か。それは次の2つのギャップに直面したときです。1つめは「パフォーマンス・ギャップ(時代の変化と自分の会社の変化のギャップ)」。つまり時代に追いついていないがために、業績不振に陥りつつあるような状況です。そして、2つめが「オポチュニティー・ギャップ(現在と将来のビジネスチャンスのギャップ)」。今、時代を先取りして変革しないと、将来機会損失となることがわかっているような状況です。
私たちの研究によれば、優れた経営者はこの「オポチュニティー・ギャップ」をいち早く認識し、他の企業よりも早い段階から変革にとりかかっていることがわかっています。つまり「今、変革しないと将来、危機に陥る」と社員に言い続け、意識的に新しい事業を先導しているのです。結局のところ、企業が「両利きの経営」を実践し続けるには「自己刷新(self-disrupt=自らの価値観を破壊すること)」を続けるしかありません。

佐藤智恵(さとう・ちえ) 1992年東京大学教養学部卒業。2001年コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。NHK、ボストンコンサルティンググループなどを経て、12年、作家・コンサルタントとして独立。「ハーバードでいちばん人気の国・日本」など著書多数。日本ユニシス社外取締役。
佐藤「自己刷新」するとは具体的にはどういうことですか。
タッシュマン ハーバードビジネススクールを例にとって説明してみましょう。当校は世界の経営大学院の中で最も成功している経営大学院の一つです。私たちの使命は世界を変えるリーダーを育成することです。では世界そのものが変わりつつ中で、その使命を実現するにはどうしたらいいか。それには伝統を維持するだけではなく、新しい教育法やカリキュラムもとりいれていかなくてはなりません。授業で「デジタル・ディスラプション」(デジタルテクノロジーによる破壊的イノベーション)を取り上げたり、必修授業に「対人スキル開発」の実習を加えたりするなど、ハーバードビジネススクールも使命を達成するために、自己刷新を続けているのです。
佐藤 著書では、「経営幹部チームは、一緒に働いている期間が長いほど、成功の秘訣が体系化され、過去の成功にとらわれてしまう」と指摘しています。役員が超保守化している会社で社員がイノベーションを起こすのは至難の業です。このような事態を回避するために、経営幹部はどうしたらいいのでしょうか。
タッシュマン 先ほども申し上げたとおり、経営幹部にとって最も大きなチャレンジは、本質的には相反する概念である「新領域の探索」と「成熟事業の深化」を両立させること、つまり「対立」や「矛盾」に対処することです。過去の成功にとらわれず、新規事業を推進できるリーダーになるには相応の覚悟と勇気が必要です。そのためには経営幹部自身も自己刷新しなければなりません。
ハーバード大学のルース・ワーグマン博士とJ・リチャード・ハックマン教授は、組織では上位のメンバーになるほど、保身に走り、自分自身に甘くなる傾向があることを指摘しています。下位のチームを率いていたときは容認しないような実践方法やプロセスを上位チームに入ったとたんに受け入れてしまうのです。彼らはこのようにリーダーが本来とるべき行動とは逆の行動をとってしまう現象のことを「経営幹部のアイロニー」と呼んでいます。もし私が最高経営責任者であれば、自分のチームが「経営幹部のアイロニー」に陥っていないか、常に気を配ると思います。