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三島氏のブレない軸として語り継がれているのは、国家の利益と人民の幸福を意味する「国利民福」だ。またカルピスを売り出すにあたり、彼は「おいしいこと」「滋養となること」「安心感のあること」「経済的であること」の4つを本質的価値として掲げている。

創業者はマーケティング面で「アイデアマンだった」と、大越氏は説明する

創業者はマーケティング面で「アイデアマンだった」と、大越氏は説明する

三島氏は商品そのもののPRよりも、今日でいう「企業PR」に力を注いだ。「初恋の味」のキャッチフレーズを発表したのと同年、彼は動物愛護協会とタイアップし、富士山頂から東京・日比谷公園まで伝書バトを飛ばすレースも実施している。同じ日比谷公園では、9メートル四方の大きな碁盤を使った囲碁大会も開催。第1次世界大戦後のインフレに苦しむ欧州の商業美術家救済策として、「カルピス」の宣伝用ポスターデザインの公募をするなど、とにかくアイデアマンだった。

そんな三島氏が全く宣伝を意識しないままにやったことが、結果として大きな宣伝効果を生んだことがある。1923年に関東地方を襲った関東大震災の直後のことだ。

日本経済新聞の「私の履歴書」で、三島は当時をこう振り返っている。「下町一帯は見るも無残な焼野が原と化した。とりわけ、水道の水が止まり、増上寺の池の水で米をといでいるという報告に胸をつかれた。地震・火災のあと、疾病でもはやったら大変なことになる。私は即座に飲料水を配ろうと思い立った。そして次の瞬間、どうせ水を配るなら、それにカルピスを入れ、氷を入れて人々を慰めようと決意した」

工場には「カルピス」の原液がビール樽で十数本。それを水で6倍に薄め、氷を入れた。トラックをチャーターしてキャラバン隊を結成。三島氏は自らもトラックに乗って被災地を回り、原液がなくなるまで配り続けたという。金庫のあり金2千円を、すべてそのための費用に充てた。

九州から東京に嫁いで間もなく関東大震災に遭遇し、日比谷公園で配られていた「カルピス」を飲んだ人の孫から直接、大越氏はその話を聞いたことがあるそうだ。よほど印象深かったのだろう。大越氏にその話をしてくれた知り合いは、祖母から何度もその話を聞かされたという。

大人層の取り込みを意識した「濃いめの『カルピス』」や体脂肪を低減させる効果を持つ機能性表示食品「カラダカルピス」といった新商品の展開により、「カルピス」ブランドは2018年までの10年間で出荷量が約1.5倍に伸びた。誕生から100年を超えた「カルピス」ブランドが今なお成長を続けている根底には、三島氏のブレない軸とベンチャー起業家らしい行動力があった。

(ライター 曲沼美恵)

(下)100年ブランド「カルピス」、周回遅れから再起の舞台裏 >>

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