甲陽学院卒業して気づいた不安 マネーフォワード社長
辻庸介・マネーフォワード社長(下)
大学は京大に進む人が多かったです。東大に行くのをダサいとは言わないけど、在野精神が旺盛なせいか京大を選ぶんです。京大と甲陽学院は雰囲気もよく似ているんですよ。自由でキャンパスは広大で自然に包まれていて、時間がゆっくりと流れているんです。
それで浪人するんですが、その時の自分が「何者でもない」という感覚が衝撃でしたね。河合塾とECC予備校に通っていたのですが、ゲーセンなどで身分証を見せてと言われても予備校の学生証しかないんです。自分という人間がどこの誰だかはっきりとは分からない状態です。また、浪人生は来年もずっと浪人生かもしれないという不安もあります。高校までは何かの所属していた安心感があったんだなと思います。
予備校時代、なぜかサッカー大会で花火が当たり救急車で運ばれた。
予備校では勉強せずにサッカーばかりしていました。それで大変な目に遭ったこともあります。淀川の河川敷で駿台対河合塾という予備校の対抗試合があって、その後花火をしたんです。そのときに打ち上げ花火が顔に直撃して救急車で運ばれたんです。

「浪人時代に予備校のサッカー大会で救急車で運ばれ、おかんを驚かせた」と振り返る
友達がおかんに「庸介が大変なことになって」と電話したんですが、おかんが「どうしたの」と聞くと、「花や火が直撃して失明したかもしれない」と返ってきたんです。おかんからすると、何で予備校に行ってて花火が直撃して救急車で運ばれたんだろうと思いますよね。
予備校に行くときにはゲーセンやジャン荘などがあって誘惑が多いんですよ。その誘惑には勝ったり負けたりしてました。一度、予備校のチューターの方が心配してジャン荘まで呼びに来てくれたこともありました。ああいう人がいたから大学に合格したのかもしれません。
結局、受験では国立の後期試験でなんとか京大に合格しました。振り返ってみると、大阪で生まれ育って、中高は甲陽学院で兵庫に通い、大学は京都と「一人3都物語」を体験できました。どの町の良いところも悪いところも知ることができましたね。
(田中裕介)