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「成長できる自信」をもらった、小学校での成功体験

新薬開発で狙いをつけたのは、「失明の撲滅」につながる加齢黄斑変性症の治療薬だった。眼の老化は、皮膚の老化にも似ていると窪田氏は説明する。長年、紫外線を浴び続けた肌と、日焼け止めを塗り続けた肌では、劣化の度合いに大きな差が出るように、眼の網膜細胞も年齢を重ねると、劣化が進みやすくなる。その劣化を阻害できる化合物を見つけることに焦点を絞って開発に突き進んだ。

リスクを顧みず積極的に「自分自身で選択することを喜びに感じる」と、窪田氏は自らの人生観を語る。そのチャレンジングな人格形成に大きな影響を与えたのは、小学4年生で暮らした米ニュージャージー州フォートリーでの生活だ。父が川崎汽船に勤める航海士だったことから、窪田氏もニューヨークに近い同地で3年余りを過ごした。

最初は英語が全く分からず、そのせいで勉強にもついていけなかったという。当時は日本企業が自動車や家電製品で世界市場を席巻し始めた時期で、「日本人への風当たりも強いし、差別もまだありましたね」と当時を振り返る。学校の授業では、小学5年生になると、「真珠湾攻撃や原爆投下について教える授業があることが分かり、これだけは絶対に受けたくないと思っていました」。

ところが、現地のカトリック系私立学校に通い始めて1年たったある日、「突然、英語がわかるようになったんです」。窪田氏はこれを「英語だけじゃなく、多くのことが右肩上がりに成長するのではなく、非連続で突如として成長することがあるのだという『悟り』につながりました」と振り返る。

英語が理解できるようになると、勉強も面白くなった。もともと科学にも興味があり、地元のサイエンスフェアなどのイベントで「牛乳パックと風船で肺の胸郭モデルを作って賞を取るなど評価されていました」。

小学校時代の英語上達体験が悟りをもたらしたという

小学校時代の英語上達体験が悟りをもたらしたという

メキメキと学力が上がったことから、通っていた学校では史上初の「飛び級」を達成した。「5年生で必須の反日教育から逃れようと必死で勉強しました。でも、学校初の飛び級ということで今度はヒーロー扱いされ、一目置かれる存在となった。これが自分の人生に大きな影響を与えたし、無我夢中で何か新しいことをやり続ける性格に磨きがかかりました」

環境が変わっても、自ら選択したことをやり遂げれば、いつか非連続的に成長し成功する糸口をつかめる――。そんな自信が、研究者から臨床医へ、そしてベンチャー起業家へと変身していく原動力となった。

「新薬の開発は、知恵とアイデアさえあれば目指すことができる。あとは、開発までのトライ&エラーに何度も耐えるリスクをいかに取れるか。新薬開発はスイスなどの小国でも立派にできるビジネスモデル。日本もこれから、リスクをとってイノベーション開発に乗り出す企業が増えればと思っています」

15年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智氏は抗寄生虫薬「イベルメクチン」の開発を通して、感染症で命の危機に瀕した多くの患者を救った。18年に同賞を受けた本庶佑氏もがん免疫療法に道を開き、がん免疫薬「オプジーボ」誕生という福音をもたらした。目下の新型コロナウイルスに関しても、国内でワクチンや治療薬、関連機器の開発が急がれている。幅広い知見の連携や、開発リスクへのサポートが求められるなか、今なおトライ&エラーを重ね続ける窪田氏の軌跡は示唆に富む。新薬開発という形での日本の世界への貢献や成長の可能性にも、ヒントを与えてくれそうだ。

(ライター 三河主門)

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