変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

――日本初の商用インターネットを掲げて熱意に燃えていました。ただ、現実には20億円が集まるはずだった資本金は、わずか1800万円にとどまり、もくろみが外れました。

「くじけるというか、それ以前の問題でしょ。それでも、ともかく始めてしまったから。絶対に(考えが)変わらなかったのが、21世紀にかけて世界の覇権競争の肝心な技術なんだというような思い。そこに誰もやる人がいないという不思議な状況。もう、バカみたいに、ドン・キホーテみたいに、でもやろうと。錯乱といえば錯乱ですね」

――当時はインターネットといっても日本で活躍できる場もなく、才能豊かな若いエンジニアがIIJに集まることになりました。

「(インターネットに)思いがある人材しかこない。適性テストをやってみたら、みんな協調性がゼロ。全員ダメなのにやる意味がないなと、ペーパーテストやめちゃった。『自分たちではなく、テストが良くない』と、変な子ばかりでした。けんかもよくありました。会議になるとペットボトルを投げるから、持ち込み禁止にした。みんな熱いパッション。カラッとしている。常識は外れていたけどね。でも、それぐらい思いが強かった」

食えるかどうかも分からないものを…

「社員は『鈴木さんはああ言っているけど、駄目なんじゃないか』という感じ。東京・永田町に構えたオフィスは解体予定の雑居ビルで、ブラインドすらないところに毎日、通ってきているわけです。当時、インターネットなんてマーケットもないし、食えるかどうかも分からないものを勉強していた変わり者たちです」

「お金の文句を言われたから、白いご飯、納豆、卵と豆腐の食費であれば、月に2万~3万円で済むだろうと言いました。だからといって、ちゃんと月給を払わないのはおかしいと返されて、『確かに』です……。でも、トップのエンジニアたちが来てくれた。世界をリードするような技術をひとつでもやっていきたいねと」

――郵政省(現総務省)から「特別第2種電気通信事業者」としての登録を得なければなりませんでしたが、折衝は堂々巡りが続きました。

「このままでは自己破産が間近となり、役所に訴訟でも起こそうかという気もありました。米ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューに応じたら『君は外圧まで使うのか』と怒られたり。日本には技術革新で覇権を取ろうという意識がないから、政策ベースに(議論が)乗っからない。そういう点は日本らしい」

「変なことをやっているお兄ちゃんたちが、役所とけんかしているくらいに受け止められていました。唯一、応援してくれたのが、会ったこともない、ヤマト運輸の小倉(昌男)さん。『君は役所とけんかしているそうだね、がんばれ』と手紙が来た。あれはうれしかったね。会ったこともないのに。それほどIIJが何を言っても、他の人は無関心でした」

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