丸めて語れない在宅医療の現実 患者・看護者の思いは
ノンフィクションライター 佐々涼子氏

ノンフィクションライター 佐々涼子氏
一人ひとりの選択を支える
在宅医療の現場を取材
――ノンフィクションライターの佐々涼子さんの最新作は『エンド・オブ・ライフ』。京都市内にある診療所の医師や看護師らによる在宅医療現場の取材を通じて、人生の終末期を迎えた人々の選択やそれを支える医療・介護従事者の姿を描いています。在宅医療を取材テーマに選んだのはなぜですか?
私の母が、長く在宅で療養していたからです。60代半ばで運動をつかさどる神経が消えていく難病にかかり、まぶたしか動かせない状態になった母を自宅で父がみていました。離れて暮らす私は時間を見つけて様子を見に行くことしかできなかったのですが、医師や看護師が訪問診療をしてくださり、父を中心にしたチームで母を支えていました。両親を見守る中で、他の在宅医療の現場はどうなっているのかを知りたくなったのです。
2012年に、知人の編集者から「京都に在宅医療を手掛けるいい診療所がある」と渡辺西賀茂診療所を紹介されて、翌年から取材を始めました。
――本の帯にある「『命の閉じ方』をレッスンする」という言葉通り、本作では在宅医療を選択した人たちの最期の迎え方と、それを支える家族や医療スタッフの姿が丁寧に描かれています。
取材を始めた当初は、在宅医療の現場で医師や看護師が活躍する様子を書くつもりでいました。でも実際に取材を始めてみると、在宅医療という言葉でひとくくりにはできない医療スタッフと患者との関係性や、それぞれが抱えている思いの違いに気付かされました。
家族と医療スタッフに支えられ、身体はつらくても心豊かな時間を過ごしている人もいれば、孤独に病と闘っている人もいました。看護師や介護スタッフの仕事ぶりを見ても、医療や介護の枠にとどまらず、患者さんの人生に正面から関わろうとする人もいれば、子育てなど時間的な制約を抱え悩みながら働いている人もいる。「在宅医療とはこういうものだ」「在宅医療は素晴らしい」と丸めて語ってはいけない、と強く思いました。
――末期がん患者の「最後の思い出づくりに家族で潮干狩りに行きたい」という希望をかなえるため診療所のスタッフがボランティアで同行したり、「ドジョウが食べたい」と言う患者のために看護師が街中を探し回ったり。患者と医療従事者との関わりの深さや多様さに、何度も驚かされ、考えさせられました。
そうですね。在宅医療では、病院で医師と患者が相対するのとはまるで違う部分があると思います。
私も取材で患者さんの自宅に同行して驚いたのですが、家の中に入ると、その人がどんな暮らしをしているのか、どんな家族関係なのかが見えてくるのです。それが、ただ患者というだけでなく、一人の人間として向き合うことを可能にするのではないでしょうか。
さらに、人生の最期という、本人や家族にとってものすごく大事な時間に関わるとなるとビジネスライクにはいきません。助けを求めている人が目の前にいて、自分にできることがあるなら全力で手を差し伸べる。身体が先に動いてしまう。人間とはそういうものなのだと感じました。