リーダーの本質、コロナで浮き彫り 台湾や独が指導力
人事のプロ、八木洋介氏に聞く(1)
リーダーとしての「営み」、ルールに縛られ過ぎることの愚
これまでのビジネス人生において、多くのリーダーと接してきました。本物のリーダーだと思える人々は、限られた材料のもとでも、いつも明確な優先順位をつけ、最大限に理性的な判断をくだしています。その判断に責任を持ち、誤りがあれば速やかに正すということまで含めての営みです。コロナ対応の本当の正解は現時点では分かりませんが、この営みに変わりはないでしょう。
想定外の事態という「新しい」ものに対しては、「これまで」のルール・制度では、対応しきれないはず。それなのにルールを偏重すると、おかしなことになります。日本はとにかくルールが好きですよね。私の経験では、世界中の企業を見渡しても、日本ほど人事にかかわる制度やルールが多い国はありません。
何かあったとき、その時点での知を持ち寄って議論で解決する。想定外ばかりが起こる現代は、この方が合理的です。にもかかわらず、日本では「議論」を嫌うように思います。多くの日本企業は「議論」を深めることを面倒に思うため、あらかじめ「ルール」をたくさん作っておくことにしたのです。その時点では有効であったとしても、変化の激しい時代には、すぐに機能しなくなってしまいます。にもかかわらず、「ルール」だからマジメに守ろうとする。何のためのルールなのか、本質をよく考えませんか。
例えば、ハンコを押すためだけに出社する。押印が必要な文書や仕事は確かにあります。でも、社内の慣習としてハンコをつく、とうことであれば、ほかの承認方法で簡単に代替できますよね。誰でも分かることです。米国企業がすべて素晴らしいとは言いません。でも、コロナ禍の中、有給休暇を消化済みの従業員に対して、緊急休暇を追加付与するなど、ルールにない行動を迅速に起こしている米国企業も多いのです。