見込んだ人に託すなら 史記の刺客・荊軻、失敗の理由
司馬遷「史記」研究家・書家 吉岡和夫さん
無用な争いをするくらいなら立ち去る荊軻の性分も史記は記しており、かなり現実的で慎重な人物だったことがわかります。いったいだれを待っていたのか記述はありませんが、丹がしびれを切らした時点でも、荊軻は時期尚早と感じていたことは確かでしょう。
私は荊軻の上司というべき丹の不明を思わずにいられません。そもそも丹の個人的な恨みが暗殺計画の動機であることに加え、できると見込んで重大な仕事を依頼した人物に、100%の信頼を示すことがありませんでした。田光に続き、荊軻に対しても同じ過ちを犯したと思います。

イラスト・青柳ちか
その一瞬のスキをみて秦王は剣を抜き、荊軻の左足を斬りつけます。倒れた荊軻は短刀を投げますが、これも柱に当たっただけでした。くり返し斬られた荊軻は柱にもたれ、笑いました。
事の成らざりし所以(ゆえん)は、生きながら之(これ)を劫(おびやか)し、必ず約契(やくけい)を得て以(もっ)て太子に報ぜんと欲したるを以て也(なり)。
失敗の理由は、王を脅しながら生かし、燕に譲歩する約束を取り付け、それを太子に報告しようとしたためだ――。動けなくなった荊軻は、秦王の周囲にいた者たちの手によって殺されます。
日本でもこの一幕は能「咸陽宮」の題材になっており、学校の教科書や映画などを通じても知られています。私は司馬遷の記述を事実と信じています。荊軻が秦王の肩や腕ではなく、袖をつかんでいたことは、荊軻の最後のひと言が真実であったことの証しのようにも思えます。
「完璧」な君臣との違い
この事件の半世紀前には、当時の秦王を前にひるまず国を救った趙の藺相如(りんしょうじょ)の故事がありました(「『完璧』元祖のミッション遂行力 史記が絶賛した気合」参照)。もしかしたら荊軻は、藺相如のように国を守り、自らも無事に帰る「完璧」にならおうとしたのではないでしょうか。
しかし藺相如と荊軻の残した結果は正反対でした。命を狙った秦王は生き延び、刺客は殺され、燕は領土を取り返すどころか秦の執拗な攻略を受けて滅ぼされます。藺相如にはすべてを彼の判断に委ね、信頼した趙王という存在がいましたが、荊軻はそうではなかったというほかありません。
史記「刺客列伝」は、荊軻と前回紹介した予譲を含め5人の刺客を取り上げています。司馬遷はその末尾で「成功した者も失敗した者もいるが、そのめざすところが明確で、自分の志に正直だった。名声が後世に及ぶのも道理だろう」とたたえています。
