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人間力にも驚かされた。地元市役所の人に紹介され、一人で山を開墾し、温泉や畑などをつくっている老人の小屋を訪ねた。「何者だ、お前らは」といきなり怒るような気難しい人だった。しかし、帰り間際に老人は小林さんに「お前にこの山をやるから、後を継がないか」と唐突に持ちかけた。後で平井さんがなぜ気に入られたのかと尋ねると、「ちょっと雑談したぐらい」と小林さんは笑うだけだった。

ゲーム開発の現場では中国やベトナムのエンジニアともやり取りする場面が多かった。小林さんは中国語もベトナム語もできるわけではないが、「不思議にうまくコミュニケーションをとって開発を迅速に進めていた」と平井さんは話す。「変な兄ちゃん」は「面白くてすごい兄ちゃん」に変わった。

1人1人の性格まで把握

2012年、平井さんはベトナムなどアジアの優秀なエンジニアを活用し、企業向けのソフト開発会社を立ち上げようと考えた。起業にあたり、ソーシャルゲーム事業の開発メンバー50人のうち唯一声をかけたのは小林さんだった。

小林さんは、サンアスタリスクでベトナムを核にした巨大エンジニア集団を育て上げた

小林さんは、サンアスタリスクでベトナムを核にした巨大エンジニア集団を育て上げた

小林さんはその日の内に勤め先のIT企業に辞める意思を伝え、翌日にはベトナム行きの荷造りを始めた。そのIT企業の社長から平井さんは「そんな急に辞めるなんて。ルール違反だよ」と抗議された。

ベトナムには日本から3人を派遣したが、最も経験値が浅かったのが小林さんだった。しかし、「彼はベトナム人に信頼された。開発陣が200人ぐらいの時までは1人1人の性格まで把握し、仕事をアサインしてチームを回していた」と平井さんは評価する。

小林さんは「ベトナム人は非常に優秀なエンジニアが少なくないが、当初は責任感に欠けた人もいた。これは日本など海外のIT大手がシステムの保守・運用などの委託先、いわば下請けとして現地のエンジニアを使ってきたからだ。これだと現地の人のモチベーションがわかない。うちの会社は彼らと一緒になって新規事業を次々やるというスタイルだった。有能な人材がどんどんうちに集まってくれた」と話す。

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