海城は時代の風を読む 学校改革し続けた30年
海城中学高等学校(上)教育ジャーナリスト・おおたとしまさ
都立高校の衰退で漁夫の利!?
「海の城」とはすなわち軍艦のこと。海城は1891年に「海軍予備校」として創設された。建学の精神は「国家・社会に有為な人材の育成」。太平洋戦争終結後、軍人養成学校としての性格と決別し、リベラルの立場を選ぶ。1967年の学校群制度導入によって起きた都立高校離れの受け皿として優秀な生徒を集めることに成功し、70年代から80年代にかけて、進学校として大躍進した。東大にも多数の合格者を出すようになった。当時は、生徒たちのおしりをたたいて勉強させる「硬派でスパルタな受験校」として評価を受けていた。
しかし東大の学内調査によって、海城出身の学生の留年率の高さが明らかになった。スパルタ式で鍛え上げ、東大に入ったとしても、うちの生徒はそこから伸びない。そのことを認めざるを得なくなった。そもそも学校のいちばんの魅力が大学進学実績でいいのか。それなら予備校に通うのと何が違うのか。そう疑問を感じた教員たちが中心となり、学校改革が始まった。そこから30年におよぶ改革は、大きく3期に分けて語られる。
1992~2001年が第1期。改革元年に当たる92年に「新しい学力」を掲げた。いま、ちまたでは「新しい学力観」なる言葉が流行しているが、そのおよそ30年前にまさにその概念を先取りしていたことになる。フラッグシップとなったのが社会科だ。社会科を、暗記科目ではなく、ディスカッションやディベートを通じて論理構成力や反論方法などを学ぶ科目にした。テストを実施せず、代わりにレポートを成績評価の対象にした。その集大成として中3では、原稿用紙30~50枚にもおよぶ卒業論文を書く。入試も記述式に変えた。
スパルタをやめたら大学進学実績が落ちるのではないかと心配されたが、杞憂(きゆう)だった。92年に中学に入学した学年が卒業する98年には東大に54人の合格者を出すなど、むしろ大学進学実績は伸びた。
教育理念は「新しい紳士」の育成
2002~07年が第2期。戦後選びとったリベラルな精神の前提には公正さが必要であり、さらに今後のグローバル社会においては、前提を共有しない異質な者同士がその違いを乗り越えて共生するための能力が必要だとの発想から、新しい教育理念として「リベラルでフェアな精神を持った『新しい紳士』の育成」を掲げる。個人の自由を最大限に尊重するが、立場を入れ替えたときに受け入れられないことはお互いに認めないとするスタンスだ。
それを実現するために中学のカリキュラムに「プロジェクト・アドベンチャー」と「ドラマ・エデュケーション」という2つの体験教育プログラムを取り入れた。「プロジェクト・アドベンチャー」は、屋外にあるアスレチックのような施設で、グループのメンバーが効果的なコミュニケーションを交わしながらそれぞれに役割を果たさないとクリアできないようなミッションに取り組むもの。米国で生まれた教育プログラムだ。「ドラマ・エデュケーション」には、観客の視点から自分を客観視しながら演劇をつくりあげることで、コミュニケーションの構造を理解する効果などがある。英国など欧州諸国ではポピュラーな教育手法だ。
「この2つを経験することで、海城生は中学生のうちに民主的合意形成、多様性を受け入れる心構え、相手の立場に立った意思疎通の仕方などを身につけます。これらの能力を海城では『新しい人間力』と称し、それをもつひとを『新しい紳士』ととらえています」と中田大成校長特別補佐。若手だったころから改革をけん引してきた教員の一人だ。