語るスター育てる音声配信 原点は関西のしゃべり文化
Voicy代表 緒方憲太郎氏(上)
ボストンでの「ゼロイチ」経験
世の中に「楽しい仕事」は存在するのか。分からなかった。それでも、何か新しいものに触れれば世界が開けるかもしれないと思った。29歳のとき、語学留学を理由に休職し、世界30カ国・地域を放浪する旅へ。米ボストンに滞在していた2011年、東日本大震災が発生する。
そこで、ボストン在住の医師を被災地に派遣するNPO(非営利団体)の設立に携わったことが、緒方氏の転機になる。

ボストンでのNPO参加が自分流の働きがいに気づくきっかけに
「現地の日本人コミュニティーで知り合った医師に頼まれて、弁護士などの協力も取り付けて組織をつくりました。僕は一応、会計担当という役回りで寄付金集めなどに走り回ったのですが、担当なんてあってないようなもので。日本医師会に連絡をして必要な医師の人数を確認したり、渡航費を無料にしてもらえるよう航空会社に交渉したり……。経験も熱量も違うメンバー同士でつくった急ごしらえのプロジェクトでしたが、すごく大変なのに、面白かったんです」
決まった一つの答えに向かって作業を積み上げていくのではなく、何もない「ゼロ」の状態から、未知数の「イチ」を生み出す。日本で会計士をしていたころには感じることができなかった種類の働きがいを見つけた。
「誰かを手助けするのが好きだという気持ちは変わっていません。ただ、たとえば誰かが自転車で坂道を一生懸命上ろうとしているとき、助けるための策が『後ろから押しなさい』だけに限定されていたら、僕はつまらないのかもしれない。疲れない自転車を考案するとか、あるいは坂道のほうに何かアプローチができないか考えるとか、新しい『仕組み』をつくりたい。その先に多くの喜ぶ人の顔があるのなら、自分は全力でやり切るだけの情熱を持てる人間なんだと気付いたんです」
その後も旅を続け、大手会計事務所、アーンスト・アンド・ヤング(EY)のニューヨーク支店に転職。英語でのコミュニケーションは「全くできなかった」が、飛び込んだ理由は「海外で働くって面白そうだったから」の一点だ。道に迷ったら、ワクワクするほうへ――。それは、今でも緒方氏の行動指針になっている。
(ライター 加藤藍子)