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「体育祭」と「運動会」という呼称の違いも実は重要だ。もともと「運動会」には軍国主義的な文脈がある。騎馬戦や棒倒しなどはまさに戦場を模した競技である。当然ながら勝ち負けにもこだわる。一方「体育祭」という名称で行われるイベントは一般に、勝ち負けというよりはレクリエーション色が強い。余興がふんだんに盛り込まれ、グラウンドだけでなく体育館などをフル活用して球技なども含めた多数競技を複数日にわたってオリンピック形式で行うケースもある。一般的には「運動会」のほうが真剣で「体育祭」はゆるい。

しかし駒場東邦の「体育祭」はゆるくない。真剣そのものだ。なのになぜ「運動会」ではなく「体育祭」なのか。ずっと不思議だった。今回調べてみると、理由がわかった。そもそも駒場東邦の設立は1957年。戦後12年もたってからのことである。時期的に軍国主義的なものとは縁遠い。さらに、初期の体育祭は「学園祭」の一部として文化祭と連日で行われていたのだ。ちなみに第1回の優勝は白組だったことを白組の名誉のために付け加えておく。

期間外の自主練を禁じる紳士協定

うんちくが長くなったがいよいよ本題に入る。駒場東邦の「体育祭」がいかに熱いかという話である。さきほどの一般的な呼称認識とは逆に、駒場東邦でうっかり「運動会」と口走ると「『運動会』じゃない。駒場東邦の『体育祭』をなめるな」と怒られる。

色ごとに、高3の四役(団長、副団長、応援団長、副応援団長)がヒエラルキーのトップに立つ。高3のその他のメンバーがその脇を固め、「学担(学年担当)」として下級生の競技指導に当たる。

応援団には中2以上の有志が参加する。色によって応援スタイルが異なり、それが各色の伝統となっている。最高学年による応援の「奥義」が、毎年練習の最終日に高3から高2へと引き継がれる。その引き継ぎ方にも色ごとの伝統がある。各色組の応援席の背後には、「デコレ」と呼ばれる巨大な絵画が配置される。デコレのできばえも審査の対象で、総合得点に加算される。

体育祭が行われるグラウンドは人工芝になった

体育祭が行われるグラウンドは人工芝になった

体育祭当日から逆算すること3週間前に、授業1コマ分を使って「色別集会」が開催される。ここからが「正式」な体育祭準備期間となる。高3生幹部は、代々受け継がれる衣装に身を包み、戦国武将にでもなったかのような迫力で下級生たちを鼓舞する。このとき団長は、それぞれに長い長い演説をする。下級生たちはピリリとした緊張感の中でそれを聞くわけだが、実は団長自身もものすごく緊張するのだそうだ。

3週間前を「正式」な体育祭準備の解禁日と定めているのは、制約を設けないと生徒たちは1年中体育祭にかかりきりになってしまうからだ。逆に言うと、それ以前には各組四役と審判団による「水面下」の準備活動が行われている。

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