宗教から科学掘り下げ 聖光学院が問う「正しさ」の先
聖光学院中学校・高等学校(上)

「宗教と科学」というオリジナル科目
カトリックの世界観を土台に、内面的・社会的成長を追求
ジャン・マリー・ロベール・ド・ラ・ムネ神父が1819年にフランスで創設したキリスト教教育修士会を設立母体とする聖光学院は、1958年につくられたカトリックのミッションスクールだ。東京都港区のセント・メリーズ・インターナショナル・スクールと静岡聖光学院中学校・高等学校も経営母体を同じにする。
建学の精神は「(1)カトリック的世界観に則(のっと)り、(2)人類普遍の価値を尊重する人格の形成、あわせて、(3)高尚、かつ、有能なる社会の成員を育成することにある」と、宗教科の平松恭詩朗さん。要するに、カトリックの世界観を土台に、自己の内面的成長と社会的成長の両方を求めるということだ。
聖光学院では、もともと中学3年間で「宗教」の授業が必修だったが、2017年からSSHになったのにあわせて、中3の「宗教」の授業を「宗教と科学」にリニューアルした。しかし平松さんには当初から、「スーパーサイエンス」と声高に宣言されることに違和感があった。
「『science』の語源であるギリシャ語の『エピステーメー』の原意を尊重するなら、SSHを名乗る学校がすべきことは、世に自慢できるような見栄えのいい研究活動を生徒に『させる』ことに主眼を置くのではなく、あくまでも『正しさとは何か』という根源的な問いを生徒とともに追求する地味な試みを大切にすべきだ」というのだ。
たしかにSSHには、高校生らしからぬ実験成果を派手にプレゼンすることが良しとされるきらいがあると私も思う。SSHに限らず、そのような「探究活動」は、私にはインスタグラムで「盛る」心理と重なって見えてしまう。「子どもたちがそういう高揚感を求めてしまうのはわかるんですけれど、大人もそれに乗っかっちゃうのはどうなんでしょうね」と平松さんは小さく笑う。
そこで平松さんは、探究する人間がとるべき意識とは何か、つまり科学的態度の根源である「正しさとは何か」を考察することを授業の普遍的なテーマにした。さらに3つの道しるべを立てた。(1)既存の価値観にとらわれない思考力を養うこと、(2)その思考力を用いて「正しい」とは何かを考えること、(3)それを追求するなかで見つけるであろう「世の中においては相対的真理しか期待できそうにない」という事実に立ち向かい、それでもそのなかで正しいと信じるに値するものとは何かを考察すること。
中3の授業を見学した。1999年に公開されたロビン・ウィリアムズ主演のSF映画「アンドリューNDR114」を鑑賞する。前回の授業の続きだ。この映画では、高度な技術でつくられたアンドロイドが感情を持ち始め、どんどん人間との区別がつかなくなっていく。高度に進化した人工物との比較から「人間とは何か」という問いに迫る意図がある。