筑波大で挫折、留学で円形脱毛症 曲折経て人材会社へ
大沢陽樹・オープンワーク社長(下)
大学4年で帰国し、植物系の研究室に入りました。就職活動も開始しましたが、納得のいかないことがありました。ある企業の書類選考で通ったのですが、面接には他の用事もあったのでお断りしたのです。しかし、内定を出すから最終面接に来てくれと人事担当者から言われました。「君は国立大学の理系で、留学経験もあるのでポテンシャル採用の対象にしたい」というわけです。

「いろいろなところで多種多様な人と学んだのは貴重な財産」と語る
欧米の企業は、採用の際は求めている分野のスキルと能力を明確に問います。3社ほど採用面接に行きましたが、途中で辞めて、大学院を志望しました。その時、研究分野の進路も変えました。
社会工学系の横張真教授の研究室の門をたたこうとしました。英国で砂漠の緑化をテーマに研究するうち、社会学と工学、そして環境学を学ぶ必要を感じたからです。横張先生は造園学や都市計画学の権威。当時は筑波大大学院の教授だったのですが、「ぼくは東大の大学院に移るから」というので、ゼロから勉強し直して東大大学院を受験しました。結果、東大の柏キャンパスにある新領域創成科学研究科に進みました。
横張教授は猛烈に厳しい先生だった。
「研究は何もない大海原に挑戦するようなもの」と現場にどんどん足を運び、データをかき集めてこいというわけです。横張先生は東京五輪のマラソンコースの気温や湿度などを測定し、暑さ対策に関して提言したり、福島県の復興祈念公園整備など様々な公園や街づくりプロジェクトに携わったりしています。
この研究室からはAI人材を育成するスキルアップAI(東京・千代田)代表取締役の田原真一さんなど起業家も飛び出しています。
研究室時代に、私もコンサルタントとしてある自治体の都市計画づくりに参加しました。その時、貴重な経験をしました。各種データを元にした立派な計画書の作成は可能です。しかし、地域住民の賛同がなければ、所詮は絵に描いた餅にすぎないことが身に染みて分かりました。計画や資金があっても、人や組織をうまく巻き込まないとプロジェクトは動かないと痛感しました。