浅野で抱いた教師の夢 開成の生徒と出会い起業に転換
水野雄介・ライフイズテック社長(上)

水野雄介・ライフイズテック社長
中高生向けのプログラミング教育事業を手がけるライフイズテック(東京・港)の社長、水野雄介氏(38)は、神奈川県の「男子御三家」の一つ、浅野中学・高校(横浜市)の出身だ。同校の非常勤講師だった物理の先生への憧れから、高2で教師を目指した。慶応義塾大大学院時代には、開成高校で非常勤講師として物理を教えた。その経験が教師になる夢を、教育ビジネスの起業へと転換させることになる。
中高では野球に熱中した。
小学2年から野球を始め、浅野中高に入ってからも野球一色。あの頃はほぼ野球のためだけに生きていました。実は中学受験では、駒場東邦中高が第1志望だったんですが、あそこの高校には軟式野球部しかないんです。浅野はずいぶん前ですが甲子園に出場したこともあった。結果的には第2志望の浅野で硬式野球を続けられてラッキーでした。
野球って必ずメンバー全員に打順が回ってくるじゃないですか。一人一人が主役になれる瞬間がある。そこがすごく好きですね。浅野は進学校にしては部活が盛んで、週6~7日は練習に明け暮れていました。神奈川県は強豪校が多く、僕たちは決して強かったわけではないのですが、高1のとき、「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔投手を擁する横浜高校と、県大会の3回戦で対戦しました。7回から出るつもりでキャッチボールをしていたら、6回でコールド負けしてしまいました。でも、あの松坂選手と戦えたのは本当にいい思い出です。3年生では主将も務めました。野球部の仲間とは今も交流が続いています。同級生7人のうち4人はいま医師として活躍しています。
高2から教師を目指した。
浅野では憧れの教師と反面教師の両方に出会いました。反面教師となったのは、頭ごなしにルールを押し付けてきた先生でした。「この人は社会のことを全然知らない。上から言われることに従順なだけで、自分の頭で考えてない」と反発しました。小さい頃から負けず嫌いなせいか「絶対、俺の方がいい先生になれる」と思ったんです。