「ケタ外れの頭の体力」 谷川九段が語る藤井聡太論
『藤井聡太論 将棋の未来』著者に聞く
――若い才能を潰さずに組織の中で育てる。将棋連盟は上手にやってきたように見えます。藤井二冠は未成年ということもあってメディアの取材も過熱しないように将棋連盟が綿密に管理し、要望の強かったCM出演も今年に入って解禁になりました。

『藤井聡太論 将棋の未来』(講談社+α新書)では藤井二冠の強さの減点や将棋界の将来を分析した
「対局に専念できるような環境づくりは組織の使命のひとつです。勝負に手心を加えることは決してないものの、将来のトップ棋士と目されるような若手は将棋界全体で見守っているような面があります。私自身も今から省みると目立たないところで気配りされていたように思います。中学生でも記録係を30局以上経験 させてもらい。2日制のタイトル戦の記録することも経験しました。プロ将棋の勝負感覚を学ぶ上で貴重な財産になりました」
――谷川九段も40歳を超えてからは弟子の育成にもあたっています。
「一番弟子の都成竜馬(七段)は奨励会の棋譜を講評する形で指導しました。級位の頃は厳しく接したつもりです。奨励会には満26歳までにプロ四段になっていないと原則退会させられる年齢制限があります。20歳を過ぎてからは『君は強いのだから』と自信を持たせるように接しましたね。もっとも自分の弟子だからといって弱いものを強いとは言いませんが」
――関西将棋界は藤井二冠、豊島竜王を始め斎藤慎太郎八段、糸谷哲郎八段、菅井竜也八段とトップ棋士集団を形成し関東将棋界と互角から優位に立っています。
「10年くらい前の奨励会幹事だった畠山鎮八段らが、厳しく指導した結果が現在に至って実を結んだとみています。将棋だけでなく、社会常識や礼儀作法も徹底して教え込みました。規則正しい日常が好結果につながるケースは、ビジネスの世界でも少なくないでしょう」
――谷川九段は50歳で将棋連盟の会長に選出され4年間務めました。ビジネスパーソンの場合、ライバルにも悩みの相談相手にもなる「同期」がいます。若くして名人位を獲得し、一流棋士の仲間入りすると、同世代で同格の友人がなかなか得られません。その隙間をどう埋めましたか。
「自分の世界以外に友人を持ち人脈を作るのは、棋士であれビジネスパーソンであれ、現役生活を続ける上で大変重要なことだと思います。私の場合は滝川高校(神戸市)の恩師や同期が年に1回会合を開いてくれて励みにもなり勉強にもなりました。40代前後からは将棋を趣味とする関西経済人とお会いする機会が増え、教えられることが多かったと思います」
――21歳で最年少名人となった谷川さんも来年4月に還暦を迎えます。人生100年時代にどんな未来図を描いていますか。
「ここ数年は、いつ引退するかと考えたこともありました。ただ将棋盤の前に座っている自分が一番しっくり来るのですね。組織運営に関わることは後進に引き継ぎながら、自分でなければ出せない一面をファンに示せればと考えています。中原誠十六世名人や米長邦雄永世棋聖といった私の先輩は、棋士人生の後半にさしかかった頃に棋風を一変させて輝きを取り戻した。自分もそうでありたいですね。AIの時代をチャンスと捉えたいと思います」
(聞き手は松本治人)
1962年生まれ。神戸市出身。76年に14歳でプロ4段。83年に21歳で名人獲得。91年に四冠。95年、阪神大震災に被災するも王将戦で羽生六冠に勝ち、全タイトル制覇を阻止。97年に名人5期となり十七世名人の資格を得る。タイトル獲得数は合計27。12~17年、日本将棋連盟会長。著書に『谷川流寄せの法則』『構想力』『集中力』など多数。