海城に似たリクルートで覚醒 カイゼンCEOの段取り力
須藤憲司・Kaizen Platform 代表取締役CEO(下)
劣等感に悩んだ日々から一転、とんとん拍子に出世し、当時としては最年少で執行役員にまで上り詰めたが、33歳で独立を決意した。
リクルートには最初から起業を目指している人も多いのですが、僕は全くそうではありませんでした。でも若くして出世したため、気づくとマネジメント業務が仕事の大半を占め、朝から晩まで会議ばかり。そんな生活が嫌になってしまったのです。もっとお客さんのところに行ってサービスを作りたい。手触りのある仕事をしたいと思うようになりました。
具体的に何をするかと考えたとき、それまでの仕事で痛感していた大企業の課題が浮かびました。どの企業もインターネットを活用して成約率を上げ、顧客体験を改善しようと躍起ですが、大企業では優秀なエンジニアやクリエーターの採用も育成も難しいのです。日本の大企業ではジョブローテーションや出世レースなどインターネットビジネスに1ミリも関係ないことに、社員はエネルギーを取られてしまうからです。
その課題を解決するには外部のDXやITの専門人材の活用が不可欠で、大企業が外部のスペシャリストとコラボレーションする時代が来るはずだと思い、それをビジネスにしようと考えました。当時、外部の専門人材はいるとしても企業内に常駐するのが当たり前だったので、クライアントに「当社は常駐しません」と言うたびに驚かれました。今、コロナ禍でようやく認識されましたが、インターネット時代に立派なオフィスは不要。そのことを2013年の起業当時から僕は確信していました。
海城時代から歴史が好きなので調べてみると、オフィスで働くスタイルが誕生したのは1900年ごろ。当時は製造業の組み立てラインの概念からオフィスに一堂に集まることで生産性向上につながったのですが、インターネットの時代だと逆に生産性が下がる。一生懸命頑張っているのに、頑張り方が間違っているために成果が出ない典型例です。
起業後は苦しい時期もあった。支えになったのが祖父の言葉だった。
母方の祖父は元将校で、優しいけれど言葉や態度に迫力が感じられる人でした。小さい頃、その祖父と公園に行ってブランコに乗っていたとき、他の子どもが乗りたそうにしていたので譲ってあげたことがありました。そのとき、祖父は僕にその子の背中を押してあげなさいと言ってこう続けました。「人として大事なのは、勉強ができることよりも優しいこと。誰かをちゃんと支えられることなんだよ」と。たまたまブランコが日陰に入っていたのですが「日の当たる場所にいる人ばかりが立派なわけじゃない。こういう日陰でちゃんと誰かを支えることこそが大事なんだ」ととつとつと語ってくれました。
苦しかったとき、僕はなぜかそのシーンを思い出しました。起業家として世間に注目されようと、一緒に働いてくれる仲間、そして仲間を支えてくれるそれぞれの家族への感謝の気持ちを忘れるな、と祖父に言われているような気がしたのです。
そういうありがたい仲間に支えられ、Kaizen Platformは東証マザーズへの上場を果たしました。子供の頃に読みふけった偉人の物語には共通点がありました。「世界を世の中の人とは違った角度から見つめていたら、いつの間にかその見方が世の中の当たり前になった」というものです。僕たちが提案するDXや新しいコラボレーションの方法は、今は新しいものとされていますが、いつかはそれが「当たり前」になる。そう信じて、前進を続けています。
(ライター 石臥薫子)