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でも入学した途端、勉強には身が入らなくなりました。普通部は先生たちがかなり自由に授業をしているので、例えば歴史では1年間でその先生が好きな戦国時代の5年分しか進まないなんてこともあります。そういうこだわりが感じられる授業は面白かったし、生物や化学など一部の科目は好きだったのですが、古文や地理などはさっぱりでした。

「留年スレスレのラインを狙って、ノートの仲介ビジネスでしのいだ」と振り返る

「留年スレスレのラインを狙って、ノートの仲介ビジネスでしのいだ」と振り返る

部活はサッカー部でしたが、こちらもあまり熱心とは言えませんでした。団体競技には向いてないようで、僕のせいでチームが負けるのも、誰かのせいで負けるのもどちらも嫌だったのです。それよりも友だちと遊ぶ方が楽しくて、よく通学路の途中の渋谷で卓球をしたりしていました。

そんなわけで成績は低空飛行。普通部は毎年、学年で2、3人の成績不振者が留年するのですが、僕は留年スレスレのラインを狙っていました。頑張って成績を上げようという気はなく、ノートの仲介ビジネスでなんとかしのぐ作戦です。国語が得意なA君からノートを提供してもらい、代わりに数学が得意なB君のノートを融通する。そうすれば僕のところには自動的にいいノートが集まってくるので最低限の点は取れるし、友だちには感謝されるしで、いいことずくめです。電気代の節約と同じく「お得な仕組みづくり」は得意なのかもしれません。大きな声では言えませんが、モールス信号をアレンジしてテスト中に友だちと答えを教え合おうとたくらんだこともありました。でも仲間は勉強してない奴ばかりなので、結果的にみんなで間違ってしまい、全く功を奏しませんでした。

でも労作展だけは力を入れました。家族で行ったケニア・タンザニア旅行を数十ページのレポートにしたり、スポーツ選手のフォーム画像を分析したり。アフリカのレポートは賞をもらった記憶があります。

普通部で一番印象に残っているのは、第一線で活躍するOBが来校し、特別授業をする「目路はるか教室」。詩人の佐藤春夫氏が作詞した校歌の一節「目路ははるけし」に由来し、1998年の普通部創立100周年を機に始まった教室だ。

鮮明に覚えているのは、俳優の石坂浩二さんと、今年5月にお亡くなりになった作曲家の小林亜星さんのお二人です。有名な企業で偉くなった方なども来られるのですが、中学生にとっては肩書よりも、話が面白いかどうかが重要ですからね。特に小林さんは「曲はこんなふうに作るんだよ」と、即興で曲を作る様子を見せてくれたのが印象的でした。僕もいつの日かこの「目路はるか教室」に呼んでもらえるような人になりたいです。

高校はSFC高等部に進みました。普通部の生徒のほとんどは慶応義塾高校に進むのですが、場所も普通部と同じ日吉で、中学から6年間男子校というのもどうかなと思ったのです。実は慶応ニューヨーク学院にも引かれたのですが、せっかく普通部で留年をなんとか回避してきたのに、9月入学で1学年遅れるのは悔しいのでSFCを選びました。普通部からは学年で2、3人しかいませんでした。

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