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1964年には日比谷高校から193人合格していた

東大の合格者数は毎年約3000人。つまり、約3000脚の椅子取りゲームである。どこかが増えればどこかが減る。逆にどこかが減らせばどこかが増える。これが大規模に起きたのが、1967年の都立高校による学校群制度導入だった。

60年代までは、日比谷高校をはじめとする都立高校が合格ランキング上位を寡占していた。小林哲夫氏の『東大合格高校盛衰史』(光文社新書)によれば、たとえば64年、193人合格の日比谷高校を筆頭に、トップ10のうち6校が都立、2校が国立で、私立は麻布と灘の2校だけである。

一部の都立高校に東大進学者が偏るのはまずいということで、都立高校の入試に学校群制度が導入された。受験生が選択できるのは複数の学校が構成する「学校群」までで、仮に入試に合格しても、その学校群のなかのどの学校に割り振られるのかがわからないしくみにしてしまったのだ。

大学通信調べ。※印は国立、◎印は私立、無印は公立を示す。合格者数は各高校への調査などから集計した。校名は現在の名称

大学通信調べ。※印は国立、◎印は私立、無印は公立を示す。合格者数は各高校への調査などから集計した。校名は現在の名称

たとえば日比谷高校は三田高校と九段高校と同じ学校群になった。その学校群の入試に合格しても、日比谷高校に通える確率は3分の1しかない。それを嫌って、都立高校志願者が激減し、かわりに私立中高一貫校ブームすなわち中学受験ブームが始まったのだ。効果はてきめん。70年代半ばには、トップ10に入る都立高校は1校もなくなった。代わりに浮上したのが私立中高一貫校だった。

東京都の学校群制度は82年に廃止されたが、一度できてしまった流れは変えられなかった。90年代には私立高校からの東大合格者数が公立高校からのそれを追い抜き、差を広げていった。「進学には私立のほうが有利」といわれるようになったのはそのころからである。

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