変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

将来、起業することを前提に、一旦就職することにした。複数の総合商社やベンチャーなどから内定を得たが、三菱商事に入社する。

実は三井物産、住友商事、双日などからも内定をもらっていて、三井物産が第1志望でした。同社の内定者パーティーにまで参加したのですが、悩んだ結果、最後に三菱商事に変えたのです。就活中に一番ウマが合うと感じたのは三井物産の人たちでした。物事を決める際の情理と合理のバランスで言うと、僕は8対2。三井物産の人も情理優位と言われており、僕自身と考えが近いなと感じたのです。一方で三菱商事は合理優位。僕は起業という目標に向けて、自分の幅を広げたいと思っていたので、自分の個性とは違う会社に行ったほうが得策だと考えました。

「三菱商事に入ってからは怒られてばかりの日々だったが、サウジアラビアに赴任した4年目にようやく、情理と合理のバランスが取れて仕事がうまく運ぶようになった」と振り返る(写真は本人提供)

「三菱商事に入ってからは怒られてばかりの日々だったが、サウジアラビアに赴任した4年目にようやく、情理と合理のバランスが取れて仕事がうまく運ぶようになった」と振り返る(写真は本人提供)

その結果、入社以来ずっと「(三菱)商事っぽくない」と言われ続けることになります。特に最初の3年間は本当にしんどかった。三菱商事の人たちはとにかく議論を尽くすんです。僕は「いつまでもリスクヘッジがどうとか言ってないで、覚悟決めてバーンとやっちゃいましょう」というタイプなので、全く受け入れられず、ミスも多かったこともあり、連日怒られていました。あそこまで怒られた人は過去にいないんじゃないでしょうか。隣のチームのリーダーが「お前、大丈夫か」と心配して食事に連れてってくれるほどでしたから。やっと自分で情理と合理のバランスが取れるようになったのは入社4年目。サウジアラビアに赴任した頃でした。

入社6年目、ついに起業した。

ウクライナで政府向けの事業を担当し、充実した日々を送っていたある日、自宅のソファでふっと将来を想像した瞬間、我に返りました。起業すると言いながら、具体的に何もやってない。大学2年の留学中に「いつまでもやりたいこと探しをしてちゃダメだ」と焦ったときの気持ちが、一気によみがえってきました。

そこからは、仕事以外の時間をすべて費やしてビジネスプランを練りました。軸にしたのは「今後2、3年の内に大きな波が来る要素技術であること」「自分が苦痛に感じること」「情熱を持って取り組めること」です。要素技術として量子コンピューター、ブロックチェーン、ディープラーニング(深層学習)が候補でしたが、一番実現性が高く、一番ワクワクできたのがディープラーニングでした。苦痛に関しては、日本のビジネス習慣では「何を言ったか」ではなく、「誰が言ったか」が優先されることが多く、コミュニケーションコストが高いという課題を感じていました。そこから、AIを活用してコミュニケーションのあり方を変え、日本の生産性を向上させるという事業アイデアができ上がったのです。

「起業する」と決意したのが小学4年の七夕だったので、18年後の2017年の七夕にレブコムを設立しました。ビジョンは「コミュニケーションを再発明し、人が人のことを想(おも)える社会を創る」です。振り返ると「自分だけが幸せになることはできない。周りの人を幸せにすることで初めて自分も幸せになれる」と気づいたのが高2のとき。その思いと今のビジネスはダイレクトにつながっています。人は心に余裕が持てなければ、他人に想いを致すことはできません。だからこそ、日本の生産性を上げ、働き方を変えていきたいと思っています。

(ライター 石臥薫子)

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