「やめる」という選択で開く ポストコロナの人生設計
『「やめる」という選択』より

『「やめる」という選択』著者の澤円さん(Photo: (C)Yayoi Arimoto)
新型コロナウイルスの世界的流行によって、私たちは、人と会うことや会食、出勤や旅行など、これまで「あたりまえ」だった物事を中心にさまざまな面で変化を強いられることとなった。こうした大きな変化に、ストレスや不安を感じている人も多いのではないだろうか。そのような方にこそ、今、「やめる」という選択肢を持ってほしいと、元日本マイクロソフト業務執行役員の澤円氏はいう。変化の時代に、「やめる」という選択肢を持つというのはどういうことなのか。新刊『「やめる」という選択』の一節から見ていこう。
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パンデミックがもたらした「変化の本質」
「新型コロナウイルスで世界が変わった」
いま多くの人はそう感じているし、そのような言葉をメディアなどでも頻繁に目にし、耳にするようになりました。
では、いったい世界の"なに"が変わったのでしょうか。
それは、"僕たちの意識"だと僕は思います。
パンデミックという、全世界を同時に巻き込む災厄が起きたという事実。それに対し、免疫を持たなかった人類が、なすすべもなくマスクに救いを求めたときに感じた不安と恐怖。あたりまえに享受していた自由が、半ば強制的に制限させられる無力感。世界ではアジア人に対する偏見や差別、暴力が生まれ、国内でもマスクをするしないや、県をまたぐ移動などについて、むなしいいがみ合いが生じました。
ウイルス、偏見、差別、格差、そして暴力……、そんな見えないものに対する不安や恐怖が潜在意識に埋め込まれ、僕たちの世界は無意識のうちにまた一歩、分断へと進んでしまったのだと思います。
ひとつのパンデミックが終息すれば、以前とまったく同じような生活に戻れるかというと、その可能性は低いといわざるを得ません。
もちろん、パンデミック以前にあたりまえだった行動は、ある程度、戻ってくるでしょう。ただ、僕たちは心理的になにを気にすることもなく、以前と同じように気軽にいろいろな国へ旅行することができるでしょうか?
人が密集する場所に出向き、そこで思いきり騒いで盛り上がることはできるでしょうか?
祭りやイベントなどを以前と同じように楽しめるでしょうか? 会議室や通勤電車で、長時間、人と密接した状態でいられるでしょうか?
もちろん、そのような営みはなくなりません。しかし、僕たちは無意識のうちにそうした状況をなんとなく避けながら、ふだんどおりに働き、生活していくはずです。
それにともない、生活様式や仕事のあり方が変わっていくでしょう。そして、そんな世界にも僕たちはやがて慣れていく。
しかし、ここで重要なのは、たとえその新しい生活様式に慣れたからといっても、「この世界が元に戻ったわけではない」という厳然たる事実のほうです。