変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

僕の場合は、朝から近所で剣道の稽古をして、学校では昼休みに応援団、放課後は生徒会副会長としての仕事をし、その後、陸上部の練習に出て、家に帰ったらピアノの練習を2時間して勉強して寝る、みたいな生活でした。ピアノは4歳の頃からやっていて、すごく好きでした。成績は常にトップだし、圧倒的な読書体験のおかげで大人びた意見も言うので周囲からも一目置かれ、言うことなしの生活でした。ところが2年生になって「制服闘争事件」に巻き込まれ、状況が変わってきました。

旭丘高校では1960年代の学園紛争の名残で、制服以外に私服を着ることが黙認され、生徒で作る「制服問題研究委員会」では毎年、「私服が黙認されている状況を追認する」という不思議なことを続けていました。ところが僕がその委員長に選ばれた年に限って、「黙認ではなく公認すべし」という意見が盛り上がってきました。しかも職員会議まで公認案に賛成したのです。それに対し愛知県の教育委員会が激怒し、私服は絶対に認めないと言い出しました。反発した生徒たちは徹底抗戦だと息巻き、地元の新聞でも取り上げられて大騒ぎになりました。僕自身は従来通り、私服の黙認で構わないと思っていたし、高3になったら東大受験にむけて勉強に集中したかったので、委員長をやめたかったのですが、再び選出されてしまい、延々と続く制服闘争から抜け出せなくなってしまったのです。

そして結局、僕は東大受験に失敗。浪人して再挑戦することになりました。今度こそはと気合も十分、東大模試では毎回A判定で、よほどのことがない限り合格は間違いないと僕自身も周囲も信じていました。ところが、東大の2次試験で想定外のハプニングが起きて、最後まで試験を受けることができませんでした。

なんという不条理だと、僕は人生を呪いました。現役では制服闘争に巻き込まれ、浪人したら最後まで試験を受けられず。これだけツキがなければ来年もきっと無理だと諦め、早稲田大学の法学部に入学しました。でも「こんなはずじゃなかった」という気持ちがくすぶっているので、キャンパスにも行きたくない。そこからほぼ2年間引きこもり状態になりました。その後、僕はふとしたきっかけで出会った2人の人物に、人生観をひっくり返されました。続きは後半でお話しします。

(ライター 石臥薫子)

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