プライド打ち砕かれた日中学生会議 藤野レオス会長
藤野英人・レオス・キャピタルワークス会長兼社長(下)
大学卒業後は、野村投資顧問(現野村アセットマネジメント)に入社。時代はバブルで、2、3年働いてある程度稼いだら、司法試験を受けて検事になるつもりだった。
人生はわからないものですね。アルバイト気分で入社したのですが、たまたま仕事が面白かったので、そのまま投資の世界で生きていくことになりました。30代でジャーディンフレミング(現JPモルガン・アセット・マネジメント)やゴールドマン・サックス・アセット・マネジメントで働いていた頃は、体力も気力もあり余るほどあったので、火曜日と木曜日は寝ない日と決めて、会社に泊まりこんで仕事をしていました。アポの数も確かゴールドマン・サックスにいた時は世界一だったと記憶しています。
これは今にして思えば、僕の弱点でもあったのですが、周りの人たちが疲労から風邪をひいたり、仕事がしんどいとこぼしたりするのが、全然理解できませんでした。ところが32歳で突如、過労からぜんそくになりました。そこで初めて、人によって頑張れるキャパシティーは違っていて、たまたま僕はそれまでキャパシティーが人より大きかったけれども、やはり一定の限界を超えると人間は壊れるのだと知りました。病気をしたことをきっかけに、やっと人間らしい自分が出てきたんですね。
こうして考えると、東大に落ちたおかげで、結果的に青学の彼と清華大の数学の先生に出会えて、人生における大切な価値観を深く学ぶことができましたし、32歳でぜんそくになったことをきっかけに、普通の人の感覚がわかるようになりました。人間、失敗や挫折をしなければ学べないことがあるし、そこで何かを得ることによって変化できるものなのです。
僕はいま、早稲田大や東京理科大学などいろいろな大学で教育に携わっています。今年4月、広島市内に開校した叡啓大でも客員教授として教えることになりました。僕が中国人の先生とのたった1時間半の出会いによって人生観が変わったように、たとえ数十分の授業であったとしても局面が合えば、若い人に力を与えたり、何かしらの変化をもたらしたりできるのではないか。教育の力は捨てたものじゃない。そう信じています。
(ライター 石臥薫子)