物足りなかった五輪アナの表現力 解説者に負けた理由

テレビでのスポーツ観戦では実況の表現力が楽しさを左右する(写真はイメージ) =PIXTA
東京オリンピックで日本の選手たちは史上最多の金メダルを獲得したが、彼らの様子を伝えた実況やアナウンスのほうは、何色のメダルがふさわしいだろう。斬新な言葉を操った解説者に比べ、総じて「プロ」のしゃべりは影が薄かったように感じた。開幕したパラリンピックへの期待も込めて、五輪での実況・アナウンスを振り返ってみたい。
歴史をひもとけば、五輪には名実況があふれている。たとえば、1964年東京大会の開会式で、NHKの北出清五郎アナはテレビ実況で「世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、素晴らしい秋日和でございます」と名調子で語り、視聴者の心にまで青空を運び込んだ。
天気は予想がつくから、あらかじめ文言を練っておける。即興ではないかもしれない。しかし、臨場感が豊かで、(くだんの実況の)画面を見ていなくても、パッと空模様が頭に浮かぶ。「言葉の力」を証明した名実況だ。
前回の東京大会は第2次世界大戦が終わって、まだ20年に満たない時期の開催であり、日本が世界に復興をアピールするタイミングでもあった。切れ目なく世界とつながる空を使った言い回しは、世界との連帯を自然にイメージさせる。今なお語り継がれる名アナウンスといわれるゆえんだ。
一方、ラジオ実況ではNHKの鈴木文弥アナが「開会式の最大の演出家、それは人間でもなく、音楽でもなく、それは太陽です」と語りかけた。映像を伴わないラジオ中継だからこそ、まぶしく照りつける日射しを言い表すのに、「好天に恵まれました」だけでは済まない。お日様まで開会を祝っているかのような多幸感を帯びた表現は、国民の期待を担っての開催となった空気も寄り添わせている。40年東京大会は戦争のせいで返上となった経緯を踏まえ、平和にスポーツを楽しめる状況を喜ぶ気持ちも伝わってくるかのようだ。
57年をへた、今回の東京五輪開会式では、先に挙げた2例ほど、心に残るフレーズは生まれなかったように感じた。そつのない言葉選びで、慎重に進行を伝えるという基本の仕事はこなせていた。ただ、そのレベルにとどまっていて、ややもすると、淡々と目の前のイベントをなぞっているような語り口が多くなっていた気がする。すぐに思い出せる名フレーズは私の耳には残っていない。
事情の違いが大きいのかもしれない。64年大会は国民的な関心事だった。アナウンサー自身も様々な思い入れがあっただろう。しかし、今回は1年の延期に加え、直前まで開催が危ぶまれた。手放しで開会を喜べる状況ではなかった。関係者の相次ぐ退任も陰を落とし、言葉選びに制約が多くなった。聞き手の側が開催を歓迎していないかもしれないという状況では、発語者の言葉は縮こまらざるを得ない。各アナは苦労を強いられたはずだ。