変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

なぜそういう活動にのめり込んだのかといえば、仲間と計画を立てること、そしてその計画通りに物事を進めていくのが面白かったんでしょうね。ある人は坂は苦手だけど荷物は持てる。別の人は食事づくりは得意だとか、地図を読むのが得意な人もいればそうでない人もいたりとメンバーそれぞれ得意不得意がある。そういう中で目的に合わせてチームを編成し、計画を立て、それぞれの持ち味を生かし欠点をカバーし合いながら成功を目指す。成功すれば充実感がありますし、一方いろいろなハプニングもありますが、それも含めて楽しい思い出になります。今思うと、そういう仲間、山でいう「パーティー」で物事を進めるやり方は、今の仕事にも通じると思います。ちなみに私は計画を立てるのが好きでした。

野外活動部でもう一つ好きだったのは、道なき道を行く点です。地図を見ながら、過去に誰も行ったことがないルートを考え、挑戦することにワクワクしました。修験道で有名な奈良県の大峰山系に行ったときは、まったく人工物が見えないところを9時間歩き、その間、誰にも出会いませんでした。

今の仕事でも太陽光発電にぴったりの場所や、洋上風力や地熱発電の適地を探し全国各地を回りますが、自然の中で自然の恵みがある場所を求めて道なき道をゆく、という点では高校の野外活動部と何か共通項があるのかもしれません。

高校では地学と地理、国語が得意で「数学は嫌いでない文系」だった。進路を考える際、法律や経済など専門を早々に決めるのは嫌だと思っていたところ、京都大学で学際的な新学部ができることを知った。それが総合人間学部だった。

私は理系の人間だと思われがちなのですが、父は国語の、母は英語の教師でしたし基本は文系育ちです。特に国語は好きで、高校時代の教科書に出てきた夏目漱石の「こころ」や中島敦の「山月記」などをよく覚えています。家には父の好きな日本文学、ロシア文学、古文・漢文の本や手塚治虫の「火の鳥」や「ブッダ」などの漫画、それに母方の祖父母が洋画家・日本画家だった影響で画集や写真集が所狭しと並んでいました。そういう環境から、自然とさまざまな本になじんでいたように思います。

地学・地理が好きだったのは、やはり自然に興味があったからです。地学は地球の成り立ちや地形、火山、海洋などの自然を扱いますし、地理はその延長線上で自然と人間社会のありようを学ぶ学問ですからね。大学でも環境問題を多角的に学びたいと漠然と思っていたところ、新聞で京都大学が学際的な新学部を創設するという記事を見つけ、面白そうだと受験することにしました。

後半では京都大学での学びや起業経験、京大スピリットについて、さらにマッキンゼーの先輩だった瀧本哲史さんとの思い出についてもお話したいと思います。

(ライター 石臥薫子)

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