変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

――恩師のようになれないと気付き、どのように対応したのですか。

「リーダーについて書かれた本を手当たり次第読みました。歴史小説やリーダー論についての本です。その中で松下電器産業(現パナソニックホールディングス)創業者の松下幸之助さんのリーダー論に共感しました」

「リーダーに必要な要素として、『かわいげ』や『成功体験(なくてもあったようにみせる)』『後ろ姿』をあげていました。これだと思いました。自分の性格に合っています。明るいお父さんやお兄さんのように家族を引っ張っていこうと決意しました。実は家でもそうしています。息子や娘にもそのように接してきました」

「東京大学の学生は勉強はものすごくできる。でも、研究には向いている人と向いていない人がいます。研究に向いていない人も、別の面ではものすごい強みを持っています。優れたリーダーは自分の得意、不得意を意識しているし、組織のメンバーの特徴を生かしていると思います」

多様な立場の共存が重要

――子供の頃からリーダーになることを意識していましたか。

「最初にリーダーについて考えさせられたのは高校時代です。北海道の田舎の公立中学校から、進学校の函館ラ・サール高校に進みました。各地の秀才が集まっていました。地元では生徒会長をやっていたような者ばかりです。寮の寝室、自習室は何十人もいる大部屋でした。騒がしいなと思っていると、寮生同士の口論が始まります。一歩も引かないような人ばかりで、なかなか収まりません。勉強に集中できませんし、夜だって眠れません」

「自分が出て行って、注意すれば静かになっていた小中学校とは別世界でした。基本的に大人は関与しないので、もめごとは自分たちで解決する必要があります。勉強できなくなって困るのは自分たちなので、時間の経過とともに騒ぎはなくなりました。自分がリーダーをした経験ではないですが、みんなが自己主張して強引にやろうとしても、うまくいかないのだと思いました。様々な考えを持つ人がどうやって共存していくのかを高校時代に学びました」

――物質・材料研究機構(NIMS)のトップや政府の政策に関する会議の民間議員などを歴任してきました。研究ができなくなることへの迷いはありませんでしたか。

「研究から組織のマネジメントや科学技術政策に関わる仕事には徐々に比重が移っていったので、迷いはありませんでした。大学の研究室はどんなに大きくなっても、自分の研究を進めているという点では変わりません。大きな研究プロジェクトを率いるようになって、最大で50人規模に膨らみました」

研究室では学生たちと旅行に出かけるなど親交を深めた(1997年、後列左端が橋本氏)

研究室では学生たちと旅行に出かけるなど親交を深めた(1997年、後列左端が橋本氏)

「しかし、東大の先端科学技術研究センターの所長になったときは違いました。選挙で選ばれたのは想定外。40代の終わりでちょうど研究者としても脂が乗りきっており、研究がおろそかになることへの迷いはありました」

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