山名昌衛コニカミノルタ会長 心の豊かさ、事業で実現
コニカミノルタ 山名昌衛会長(下)
私のリーダー論――1999年に米カラープリンターメーカーの買収を主導し、その後、自ら買収会社の最高経営責任者(CEO)に就いています。
「93年から経営企画に配属され、新規事業の創出などを任されていました。私はこれからの時代、プリンターはネットワーク対応が肝になると考え、その技術を手掛けていた米QMSの買収を提案しました。同社はIT(情報技術)バブルの崩壊で苦境に立たされていました。私は会社が変わるためには現場と経営陣との信頼関係が必要で、トップが変わる必要があると考え、決断しました」
「ある朝、CEOの部屋に行き単刀直入に『辞めてくれませんか』と伝えました。本人はびっくりしていましたが、しばらく沈黙した後に『(日本の)本社がそう言ってきたのか』と聞きました。自分自身の考えだということを私が伝えると、『本当に会社のことを考えて決めたのなら辞める。ただ、一つだけ条件がある。明日から君が(CEOを)やれ』と言い、本当にその日に段ボールを抱えて出て行きました」

米プリンター会社の買収を提案し、実際に経営を担った(後列右から2人目が山名氏)
経営目的、現場に働きかけ
――自らクビを言い渡すのは大変ではなかったですか。
「強固な意志を持って即断即決するリーダー像を見せてくれた人で、すごく尊敬していたので苦しかったです。数日間どうやって切り出そうかと悩みましたが、こういう時こそ直球で勝負すべきだと思いました」
「CEOに着任後、現場起点の経営を目指してまず幹部を総入れ替えしました。そして全従業員が参加する集会を毎月開くようにしました。自分の言葉で厳しい構造改革をやる意味と将来の目指す方向性を何度も説明しました」
――現地の社員にはどう映ったのでしょうか。
「合理化の一環で、日本からの応援チームを帰国させようとしていました。するとアメリカ人の社員が『いま会社には彼らが必要だ。私たちよりも会社のために10倍も働いている日本人を帰国させるなら、まず私たちアメリカ人を解雇してほしい』と申し出たのです。リストラに自ら応じたその社員が退職時に『いい会社にしてほしい』と言い残していった言葉は今でも忘れられません」
「現場と経営陣が一枚岩になったこの瞬間、会社は必ずよみがえると確信しました。私は現場の力が全てだと信じています。欧米式経営や日本スタイルなどという固定観念は薄っぺらいのです。『神は細部に宿る』という言葉の通り、経営陣が会社の目的を一つにして細部に働きかけることが大切です。全社員向け集会やラウンドテーブルを開き、双方向のコミュニケーションに取り組んできました」
――2003年、コニカ・ミノルタの経営統合時に経営企画部長として関わりました。
「両社のブランドを統合することにしました。ブランドを残すべきだという強い意見もありました。ですが、短期的には痛みがあっても、中長期的には『顧客への価値提供』を経営判断の基軸に置くことが正しいということを信じて進めました」