百貨店DX推進役は経営学博士 請われてヤフーから復帰
大丸松坂屋百貨店 DX推進部部長 岡崎路易さん
フロントランナーの履歴書――さらに博士課程まで行ったのはなぜですか。
駆け足で経営学の表面を見ただけなので、何か学び足りないなと思ったんですよね。それに今後の自分のキャリアを考えると、博士があると選択肢が増えるんじゃないかと考えたんです。研究者として生きる道も開けるし、そうじゃなくても博士号を持つ実務家として生きていけるかなと。
――実際、キャリアに影響はありましたか。
実は博士がすごいと言ってくれる人は、あまりいなくて(笑)。でも、指導役だった三矢裕教授のもとで「なぜ?」を考え抜いたことは、血となり肉となり、ずっと仕事で役立っています。「その程度の考えなら、ただの平社員しかできひん」など厳しいことも言われましたが、論理的思考力が鍛えられたのは先生のもとでの研究生活があったからです。

指導役だった三矢教授について、「論文を書くときなどは絶対に1人にさせないから、というスタンスで徹底的に付き合ってくれました。今の私のマネジメントでも同じことを心がけています」と振り返る。
キャリアの変化という点では、「MBAに通ってるし、もともと理系だから数字に強いだろう」ということで、大学院に通い始めた頃、財務部に異動になりました。最初は予算編成や決算の作業をやっていましたが、上海出店プロジェクトで、税務や会計などの対応に加えて、現地パートナー企業との交渉など経理の枠を超えた業務をしていたんですね。そのときに中国ビジネスの注意点などを細かくリポートしていたら、常務に気に入っていただけて。「M&Aチームで使いたい」ということで経営企画へ移りました。
――M&Aチームではどんな仕事をしたのですか。
毎週のように投資銀行の担当者から「こんな会社が売りに出ている」といった話がきて、企業価値の算定をやっていました。上に報告するときに心がけていたのは、単に数字をポンと渡すんじゃなくて、数字から読み取れる、その企業の経営やビジネスの状況分析を含めて渡すということ。次第に常務から意見を求められることも増え、大きい案件があると相談してもらえる懐刀というか、部内の若手筆頭みたいなポジションになれました。
実践ならではの経験ができたのはグループ企業の売却です。理論上は出資比率で株主の権利が決まりますが、大株主だからといって何でも言ってもいいわけではありません。シナジーが出なかったから売却だという判断になったとしても、売られる側の気持ちもあって、「いやいや、シナジーを出すために何かしてくれましたか」「従業員の雇用はどうなるの」と言いたくなりますよね。毎日のようにグループ会社役員と証券会社担当者と電話して、「次どうしよう」「こんな話でてきたけどどうしよう」と、1歩ずつ問題解決する日々でした。
ヤフーで目撃した「エビゾリ」の魔法
――M&Aの仕事は充実していたと思いますが、なぜヤフーへ?
ベンチャーの最高財務責任者(CFO)を経験したこともある当時の上司が、10回ぐらい転職経験のある方で、「転職するつもりがなくても職務経歴書は書いとけ」とよく言われていたんです。せっかく作ったので転職サイトに出してみたら、すぐにエージェントからヤフーの求人を紹介され、とんとん拍子で転職の話が進みました。
――ヤフーではどんな経験をしましたか。
PayPayで巨額投資したり、Zホールディングスに移行したり、会社がアグレッシブに動く時期にCFOのもとで中期経営計画や予算の策定に携われたのは本当にいい勉強になりました。指数関数のグラフのように数字がある段階で急激に伸びることを社内で「エビゾリ」と呼んでいるんですよ。市場シェア100%というような野望を本気で計画して、見事にその絵を実現するという「魔法」を目の当たりにしました。市場が横ばいか緩やかに下がっていくリニアな業界しか自分は知らなかったから、衝撃でしたよね。
今の新規事業メンバーに対しても「エビゾリができるデジタルビジネスを考えていこう、それは絶対できるから」と自信を持って言えるのはこのときの経験が大きいです。