機械翻訳で求められる「日本語力」 実例で技法を指南
『グローバル×AI翻訳時代の新・日本語練習帳』 井上多惠子著
リスキリングbooks
あるとき、海外の人々と頻繁に重要なメールのやりとりが発生する業務の担当を任されるようになったとする。そうした場合のリスキリングとして、真っ先に思いつくのは英語のブラッシュアップだろう。
だが、現代はその必要性は薄れている。近い将来は完全に不要になるかもしれない。なぜなら、人工知能(AI)による機械翻訳が長足の進歩を遂げているからだ。誤訳などのチェックは欠かせないが、よほど専門性の高い、あるいは複雑な内容でなければ、かなりの精度で日本語を英語に変換してくれる。
実はそういう状況だからこそ、大事なリスキリングがある。それは「日本語力」を高めることだ。ただの日本語ではない。機械翻訳でより精度の高いアウトプットを得るのに有効な日本語というものがあるのだ。
本書『グローバル×AI翻訳時代の新・日本語練習帳』は、機械翻訳が「訳しやすい(誤訳が少ない)」日本語表現のポイントを、豊富な例文とともに解説。さらにそこから発展して、グローバルに通用するコミュニケーション技法を指南する。そのまま使える英語例文や、機械翻訳ツールの紹介などが掲載された実用書でもある。
著者の井上多惠子氏は、1963年生まれで一橋大学社会学部とオーストラリアのマクレイカレッジ・ジャーナリズム学科を卒業している。豪州勤務を含め、大手メーカーで人材開発部に所属、数々のグローバル業務に従事している。
本書の最大の特長は、普段われわれが当たり前に使う日本語表現を実際に機械翻訳にかけ、どこで、なぜ誤訳が発生するかを具体的に示していることだ。そして、改善のポイントを指摘し、修正した日本語を再び機械翻訳にかける。すると正確に元の文の意図を伝えられる英文になっているというわけだ。
ハイコンテクストをローコンテクストに
そもそもなぜ「当たり前の日本語」が、日本人には通じるのに機械翻訳では誤訳を導いてしまうのか。それは、日本では「ハイコンテクスト」のコミュニケーションが行われているからだという。それに対し英語のコミュニケーションは「ローコンテクスト」だ。
ハイコンテクストとは、話者と聞き手の間に共通基盤があるため、いちいち言葉を補わなくても会話が成立する状態を指す。「暗黙の了解」「あうんの呼吸」「言わぬが花」といったキーワードで表される。ローコンテクストはその逆だ。共有する情報が少ない人でも理解できるように、言葉を補って明確に伝えることが求められる状態。
機械翻訳にかけるのを「人間とAIの会話」と考えてもいい。人間との共通点が少なく、忖度など期待すべくもないAIに「わかってもらう」には、適切な言葉を補い、あいまいな言い回しを避けるといったローコンテクストのコミュニケーションが欠かせないのだ。
本書にはLesson1として14の「グローバル時代に必要な日本語の文章基本ルール」が挙げられている。「必ず主語を書く」「目的語をちゃんと書く」「一文を短く書く」「単数か複数かを明確にする」など、いずれも日本語と英語の違いを踏まえ、内容を明確に伝えるためのものだ。
例えば「お目にかかれるのを楽しみにしています」を機械翻訳すると、勝手に主語を補い「I look forward to meeting you」としてくれる。「正しいのでは?」と思うだろう。だが、実はこれ、cc(同報)に発信者として複数の同部署の人たちを入れたメールなのだ。すなわち、正しい訳は「We are looking forward to meeting you」。こうしてもらうには、入力する日本語を「私たちはあなたにお目にかかれるのを楽しみにしています」にしなければならない。
「起承転結」は
ご法度
著者は、上記のようなフレーズごとの日本語表現のポイントだけでなく、海外の人により内容が伝わりやすい文章構成についても解説する。われわれのほとんどは学校の国語や作文の授業で、「起承転結」を文章構成の基本と習ったはずだ。しかし、この「起承転結」は文学作品ならいざ知らず、グローバルなビジネスコミュニケーションではご法度なのだという。
効率優先のビジネスコミュニケーションにおいては、最後まで結論を言わず、状況や背景をダラダラ説明するのは嫌われる。そこで著者が紹介するのが「PREP法」。Point(伝えたいポイント)、Reason(理由)、Example(例)、Point(伝えたいポイント)の順に話すという方法だ。つまり、最初に結論を提示して、そう主張する理由を述べ、その裏付けとなる例を挙げ、最後にもう一度結論を言ってまとめる。これであれば、時間が限られている時にも、ポイントと理由まで聞けば、だいたい言いたいことを理解してもらえる。
本書は、「感謝を伝える」といった国際標準のビジネスマナーの部類に入るポイントにも言及している。さらっと一読するだけでも、グローバルなコミュニケーションの流れが理解できるだろう。
(情報工場チーフ・エディター 吉川清史)
広い視野と創造力を育成する「きっかけ」として、様々な分野から厳選した書籍をダイジェストにして配信するサービス「SERENDIP(セレンディップ)」を展開している。「リスキリングbooks」は、「SERENDIP」で培った同社ならではの選書力を生かし、リスキリングに役立つ書籍を紹介する。