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大学3年になると起業に目覚めた。ちょうどITバブルが始まった頃で、「ビットバレー」と呼ばれていた渋谷かいわいに出入りし、起業家たちと交流するうち、自身もネット広告配信サービスを思いつく。印象付けたいフレーズやロゴをクイズやパズルの中に潜ませ、顧客がそれらを解くうちに自然と覚えてしまうというアイデアで、さまざまな大学から集まった仲間7人でサービスの開発を始めた。

「私が住んでいた6畳一間のアパートに全員がPCを持ち込み合宿状態でしたが、本当に楽しくてしょうがなかった。みんな睡眠不足で疲れているので寝た方がいいのですが、寝る時間がもったいないからと誰も休みたがらない。だからジャンケンして勝った奴じゃなく負けた奴が寝るというルールにしていました。ただ、床は栄養ドリンクの瓶だらけなので、一番フラットな玄関の靴の上で寝ていました」

杉原氏は広告の提供方法に関する特許を出願。メンバーの名刺も作り、法人化の準備を着々と進めていた。ところがある日、テレビのニュースをつけて仰天した。大手商社が新規事業でほぼ同じ内容の広告ビジネスを立ち上げたと報じられていた。調べてみると、その会社も特許を申請していた。そのまま突っ走るべきか、撤退すべきか。三日三晩話し合い、6人は突っ走ろうと主張した。それに対し、言い出しっぺでリーダーだった杉原氏は撤退という苦渋の決断を下す。

「特許審査の結果が開示されるまでの十数カ月間、お互いの手の内を見ることができないのはあまりにリスクが高いと考えたのです。しかも相手は大企業で、こちらは学生で資本はゼロ。冷静に考えて勝ち目はないなと。でも、あれだけ夢中になって仲間と取り組んだ夢が突然潰えてしまい、本当に悔しかった」

「将来は絶対に起業する」と決意

だがこの時、へこたれるどころか「将来は絶対に起業する」と心に決めた。そして来るべきチャンスに備え、スキルアップのために就職することにした。最速で多くの人に会いビジネスの知見が得られる場、さらにリスクマネーが動く土壌にリーチできる場はどこか。思い浮かんだのが外資金融だった。最終的にゴールドマン・サックス(GS)証券への就職が決まった。

「就職前の春休みに実家に帰って、初めて父に『GSに就職する』と告げたのですが、父はガソリンスタンドか何かだと勘違いしていました。当時はそのくらい外資金融というのは一般にほとんど知られていない世界でした」

即戦力重視で中途採用しかしていなかった同社がようやく新卒を取り始めた頃で、同期は10人超。そのうち同氏を含む3人が、市場を判断する頭の回転の速さや数的センスが求められ「花形」とも言われる株式トレーディング部門に配属された。伝え聞いたところでは、それまではほとんどが理系出身者で、文学部出身は初めてだったという。

後半ではゴールドマン・サックス証券での怒とうの日々や、27歳で起業したあとの苦労、さらに現在、金融という枠を飛び出し取り組む人工知能研究などについて紹介する。

(ライター 石臥薫子)

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