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「人心を掌握した経営」の本質とは

戦略家の功績に関する歴史の寸評から、企業経営のヒントをひもとく構成なのですが、もっとも目を引くのが、戦国武将・織田信長の項目(第4章 戦国時代から「競争戦略」を学べ)です。

それは、信長が本拠地を尾張(今の愛知県)から美濃(岐阜県)、さらに安土(滋賀県)に転々と変えて、活動エリアを変えていったことです。室町幕府の15代将軍、足利義昭を伴って上洛し、一時期は良好な関係を保ったのですが、自らを傀儡(かいらい)と思った義昭に、武田信玄や上杉謙信といった有力な戦国武将による「包囲網」を敷かれ、苦境に立たされました。その際、織田信長は、北陸・関東・幾内・四国・中国・東海道と、エリアごとに「方面軍」とする戦線を展開し、有力武将を配置したことです。歴史的にはよく知られた事実なのですが、本書では独自の解釈を試みています。

「織田信長が根拠地を4回も変えたことは、どのような効果があったのでしょうか。一つには天下統一への重要エリアへのアクセスや支配力の強化が可能になったこと、二つ目は部下が物事を考える視点を転換できたことがあげられます」(122ページ)と指摘した上で、富士フイルム、米ゼネラル・エレクトリック(GE)、IBMなどが実行した事業ドメイン(事業の展開領域)を計画的に変更して新たな成長に挑んだ軌跡に重ねています。

本書ではほかにも、中国の漢王朝を押し立てた劉邦が、宿敵である項羽と戦って勝利した歴史も取り上げ、劉邦の「弱さのマネジメント」に注目しています。自らは項羽に対して才能が劣るのだけれども、優秀なブレーンを引っ張り、その助言に耳を傾け、勝利した劉邦の戦術です。本書では劉邦の戦術を、戦後の家電を引っ張った松下電器産業(現パナソニック)になぞらえて詳述しています。

昭和初期の世界大恐慌で、(編集部注・松下)幸之助は危機に社員をリストラせず、工場を半日操業にして生産調整し、工員を営業に回して一人もクビにせずに不況を乗り切ります。このような「人心を掌握した経営」が松下電器社員を団結させ、猛烈な努力を引き出したのです。
他者の優れたアイデアをすぐ取り入れたのは、無駄な自己のプライドを持たず、自らを弱者と考えて人を徹底活用する姿勢の賜物です。弱者の自己認識を武器とするマネジメントの威力で松下電器は勝ち、世界的な電機メーカーとなったのです。
劉邦が項羽に勝ったのは、自分一人ですべてを行えないという優れた見切りです。自己を弱者と見極め、参謀の張良や韓信などの優れた武将を引き立て活躍させることで、山を抜くほどの力を持つと自ら豪語した項羽を倒すことに成功したのです。
(第2章 中国の軍師から「逆転力」を学べ 67ページ)

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