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悪気がなくても、恨みは買う 

「不快にさせる気持ちはなかった」というのは、言い訳にしばしば使われる。「悪気はなかった」という弁解で耳にすることが多い。だが、悪気の有無は大した問題ではない。相手が腹を立てたこと自体が好ましくないのであって、積極的に仕掛けたかどうかは別の話だ。

むしろ、悪気がないのに、相手を傷つけてしまったという事実は発語者の知見の底浅さを示すともいえるだろう。その言い回しや言葉が不愉快なニュアンスを帯びていると知らないまま使ってしまったということを意味するからだ。センシティブな表現への感度が鈍いという、発語者のスキル不足がトラブルの原因となっているケースだ。

時代が変わって、言葉を取り巻くルールや意識は様変わりしている。一昔前に通用した冗談や軽口でも、今では白い目で見られるケースがいくらでもある。「才色兼備」「美人」「未亡人」などの不快用語を気にせず使っているなら、気がつかないうちに誰かを傷つけているおそれがある。「どこがおかしいの?」と首をひねるようなら、結構、まずいと思う。

ダイバーシティー(多様性)が当たり前の言葉になってきた今、物事のとらえ方も昔に比べて一様ではない。自分だけの価値観や常識で「普通は~だ」「常識だろう」などと言えば、相手の不快感を呼び起こすだけではなく、恨みを買う心配もある。「自分=正解」は不正解なのだ。

外見・容姿に関するうかつな物言いは相手を傷つけてしまうリスクが大きい。「ほめているのだから構わない」といった思い込みは危険だ。「おっ、やせたね」と声を掛ける行為は、発語者はほめているつもりかもしれないが、今では通用しない。

「よかれと思って」というような、勝手な親切心から、望まれない言葉で相手を傷つけてしまうことだって起こり得る。独断的なアドバイスがそれにあたる。繰り返して言うが、発語者の意図は関係ない。「愛のむち」であれば、きつい言葉を浴びせても構わないなどという話はない。

「言葉を選びましょう」と言うと、「そんなにあれこれ気にしていたら、何にも言えなくなる」と、不満を漏らす人が現れるものだ。ポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)に反発する人もいる。だが、他人を傷つけずに、言葉を発することができないのであれば、必要以上にたくさん言わないでいるのも、悪くない選択ではなかろうか。誰もがいっぱいしゃべらなければならないわけではない。

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