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吉岡氏の言葉に触発された恩塚氏の「行動」はこれに止まらなかった。東京医療保健大でバスケ部が始動した06年、バスケットボール女子日本代表チームに、データ分析のアナリストとして貢献したいと自らを売り込みに行ったのだ。創部の際に学長から「ところであなたの実績は?」と聞かれ、答えに窮したことが心に引っかかっていた。自分には選手としての華々しい実績もなければ、指導者としても最高の成績は高校チームの県大会出場どまり……。

「実績がないのなら作るしかない。僕個人のものでなくても、誰かに貢献したことも実績になるはず。じゃあ誰に貢献するのかと考えた時、バスケットボールに関わる以上、日の丸をつけて日本のバスケのために貢献したいという思いを持ち続けてきたので、素直に日本代表だろうと思ったのです」

海外遠征にも

自費で帯同

そこで貢献の要素として思いついたのがデータ分析だった。試合や練習の映像や数字を分析することで、チームのパフォーマンスを向上させ、勝利への道筋を立てるアナリストという仕事は、NBAではすでに確立されていたものの、当時の日本のバスケ界にそのポストはなかった。恩塚氏自身がアナリストを知ったのは大学時代。以来、当人いわく「趣味程度に」ビデオの撮影や編集・分析を続けていた。

返ってきたのは「やってくれるのはありがたいが、海外遠征に帯同させる予算がない」という答え。恩塚氏は畳み掛けた。「では自腹だったら行かせてもらえますか?」。海外遠征の渡航費・宿泊費をすべて自分で持つのは決して楽ではないが、食い下がったのはなぜなのか。

「その時、僕の胸にあったのは、渋幕の同僚で非常に尊敬していたある先生の『セコイのはだめ』という言葉でした。その先生は当時60歳を超えた大ベテランでしたが、精力的に学び続けている方で、留学をしたり、国語の担当なのに数学の勉強をされたりしていました。そしていつも『本当に大切なことにはお金を惜しんではダメだ』とおっしゃっていたんです。やっぱり本当に自分が代表チームに貢献したいのなら、セコイことを言っていてはダメだ。お金が出ようが出まいが、やらせてくださいとお願いするしかないと思いました」

結局、その年のシンガポール遠征には「ビデオコーディネーター」という肩書で、自腹で参加。当初は指導者としての実績のない人物が、日本代表の戦術を分析することに対し、冷ややかな視線が向けられることもあったが、徐々に信頼を勝ち取り、07年、恩塚氏は日本バスケット界におけるアナリスト第1号になる。

「費用に関しては最初は自腹、次に交通費が出るようになって、最終的には交通費と日給が出るという3段階を経ましたが(笑)正式に認められたのはうれしかったですね」

人生の節目節目で出会った人物から得た言葉を胸に刻み、自らの考え方・行動原理を変えていった恩塚氏。その姿勢がたぐり寄せたとも言える女子バスケ日本代表ヘッドコーチへの軌跡や、無名の大学を日本一に導く過程で編み出した独自のコーチング法は後編で紹介する。

(ライター 石臥薫子)

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