変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

高校3年では美術、音楽、書道という芸術科目が選択制になって、受験勉強に専念するため選択する生徒はほとんどいないのですが、私は美術を取りました。学年400人のうち美術を選択したのはたった3人。他の2人は美術部員で、顧問の先生との関係もあったのでしょう。私は美術部でもないし、絵は下手だし、作品を作れば時間は食うわ、平均点は下がるわ、いいことなんて何もないけれど、意地というか、「リベラルアーツ(教養)なんだから、受験で忙しいから取らないなんていうのは、ちょっと違うんじゃない?」と主張したい気持ちもあったんです。それはさておき、自分で作るのは下手でも、「アーティストというちょっと変わった人たちと話してみるか」といった気軽な感じでアートと向き合ってもいいんじゃないかと思います。

アーティストとコミュニケーションが生まれるのが楽しい

私が特に好きなのはコンテンポラリーアート(現代美術)です。私の定義では「今生きている人が制作している作品の全て」。つまり、今生きている人がアートの裏側にいて、こちら側に何かしら訴えかけてくるものは、たとえそれが日本画であったとしても全てコンテンポラリーアートだと思っています。「この作品、買ってくださいよ」と訴えてくるようなものもあれば、聞きたくもない主張を投げかけてくるものもあります。かと思えば、すごく優しいメッセージを発するものもあります。そうやって、同時代を生きる自分とアーティストの間で、何かしらコミュニケーションが生まれるのが楽しい。いろいろな人と会うのが面白いというのとほとんど同じ感覚です。

本を読む時も、小説やエッセー、詩など表現方法はいろいろですが、結局、その作者と対話して、その人を好きになったり嫌いになったり、友達のように感じたりするじゃないですか。それとも似ています。ただ、活字を書く人よりもアートを作る人の方がずっと変な場合が多いんですよね。変というと語弊があるかもしれませんが、平均とか普通からだいぶ離れている。英語で言うとdeviation(偏差)が強い。兄弟や親戚に記者がいると言われても「あ、そう」としか思わないけれど、「小説を書いてる人がいる」というと「へぇ」、「アーティストがいる」と聞けば「ワオ」となるじゃないですか。

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