灘の神童、大人になってコンビ起業 ネットで教育事業
キャリアコラム
MITで電子工学を専攻した前田さん
灘66回生はまだ20代半ばだが、なぜ起業家が目立つのか。「うち学年の担任団にユニークな教師が多かったのが一因では。大学受験よりも体育祭や文化祭、課外活動に熱心だった」と前田さんは話す。灘は学年ごとに担任団を組み、6年間持ち上がり制となっている。学年ごとにカラーが分かれ、6つの学校があると言われるほどだ。もともと名物教師が多い学校だが、「本気で東日本大震災の復興に貢献したい」と福島県に移住した教員もいた。
国際五輪でウクライナ人の彼女ゲット
前田さんと趙さんも学校行事や課外活動に精を出した。「科学の甲子園」に一緒に出場して準優勝した。高2の時、前田さんは、シンガポールで開催された国際生物オリンピックでも銀賞を受賞した。余談だが、この大会で前田さんは彼女も獲得した。相手はウクライナの女子高生。以来、遠距離恋愛が続いた。
前田さんは、趙さんとともに東大理二に合格したが、MITに進学。電子工学などを専攻した。灘からハーバード大に進学した先輩たちから勧められたのが理由と以前の取材で語っていた。しかし、「10%ぐらいは彼女の影響」と照れながら、やや修正する。
ウクライナ在住の彼女はニューヨーク州の大学に進学、その後、前田さんと合流、MITでは一時研究生活を共にした。23歳の時に結婚した。灘の同級生では2番目に早いゴールインだ。
その後、前田さん夫妻は日本で暮らしを始めた。今、妻は製薬メーカーで働いている。22年2月、突如ロシアがウクライナに侵攻した。前田夫妻にも衝撃が走った。ウクライナ西部に暮らしていた妻の母親を日本に迎え、一緒に暮らし始めた。
「遠距離するし、MITに行くし、即結婚はするし、有言実行だな」と趙さんは感心したという。親の反対を受けながら、起業の誘いに乗ったのは「前田という男に刺さっていたからだ」という。文系も理系もどんな科目も難なくこなせた趙さんは、今一つ自分の意思で人生を決められないところがあった。