変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

ところが途中で、やっぱり日本生命は違うかな、僕はVCに興味があるんだからとVC大手のジャフコに行こうと決心します。でも卒業目前の大学4年2月になって、ジャフコが得意とする手法は、僕がやりたいVCのスタイルとは違うと気づいて内定を辞退しました。だけど内定した時の説明会でいろいろ説明してくれた先輩社員で「めちゃめちゃ濃い人だな」と印象的だったのが、今ANRIでジェネラルパートナーとして働いている河野純一郎なので、縁って本当に不思議です。

ジャフコの内定を辞退したため、大学を留年して5年生に。だがやはりレールから外れるのは怖く、ベンチャーやVCではなく大手のリクルートに就職した。

自分の子どもたちには「お金は稼げなくていい。月を見て泣くような詩人にでもなってほしい」と思っていると話す

自分の子どもたちには「お金は稼げなくていい。月を見て泣くような詩人にでもなってほしい」と思っていると話す

すごく変わった学生だったと思います。5年生だし、ダブルのスーツを着てメガネかけて面接の待合室でノートPCをカタカタ打ってて。面接が終わったあと、面接官の人から「私が面接されてるのかと思った」って言われました。リクルートは僕みたいなキャラだったらきっと受かると思って受けたら、案の定、受かりました。

リクルートの仕事はすごく楽しかったです。目標を達成すると教育担当の先輩が泣いて、それがうれしくて僕も泣く、みたいなこともあったし、2年目にはソーシャルゲーム事業の立ち上げなど好きなことに挑戦させてもらえた。だけどある日、トイレで「あれ、ここでの仕事は面白いけど、自分の人生に全然関係ないな」って気づいたんです。僕は人生の夢に近づいているのではなく、夢と並行に動いているだけじゃないか。ずっとVCをやりたかったはずなのに、自己実現と関係ない場所で感動して泣いてる場合か。そんなヒマはないはずだろって。それまで僕なりに理想と現実の間でもがいていきたけど、やっぱり好きなことをやらないとブレークスルーはできない。そう気づいてからは気持ちがラクになりました。

リクルートを辞めようと決めて、VCのイースト・ベンチャーズ(東京・港)の松山太河さんのところに「雇ってもらえませんか」と相談に行きました。松山さんは、僕が大学5年生でVCの社長8人の飲み会に顔を出させてもらった時にお会いし、ずっと尊敬していました。それで松山さんのところで1年間カバン持ちをさせてもらって、27歳で独立して今に至るというわけです。

でも独立といっても、「意気揚々と」ではなく「独立せざるを得ない状況に追い込まれた」というのが本当のところです。かねてかわいがってもらっていた東証1部上場のインターネット広告大手オプト(現デジタルホールディングス)の海老根智仁・元会長にスペインバルに呼び出されて、「オプトの投資会社に行くか、インドネシアの子会社を立ち上げるか、独立するか選べ」と言われて、20代の若造が50歳くらいの上場企業の会長にすごまれると怖いじゃないですか。「えーっと、広告会社をやりたいわけじゃないし、うーん……じゃあ独立します!」と。あの時、背中を押していただいて、出資までしてもらって本当に感謝しています。

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