「好き」軸に発達障害の子を支援 元サイバーの起業家
Woody社長 中里祐次氏(上)
キャリアの原点3つ目のピボット、小1の長男がきっかけ
だが、わずか3カ月で撤退。当人いわく「うーん、これじゃないかもと思ったんです。何より熱量が足りなかった」。その後始めたスマホアプリ事業も鳴かず飛ばずで、3つめのピボット(事業転換)としてBranchを立ち上げた。なぜ、それまでと全く異なる発達障害関連のサービスだったのか。
きっかけを与えてくれたのは、小1でASDとADHDの特性があると診断された長男だった。相手の気持ちを想像することが苦手な一方、言語能力が高いために、とうとうと正論を述べ、友だちを言い負かしてしまうことがよくあった。短時間での処理能力が試されるテストは苦手だが、レゴなど自分の興味のあることには、並みはずれた集中力を発揮し、独自の感性も感じられた。そんな長男とある時、東京大学の文化祭で「レゴ部」を訪ねたところ、長男は目を輝かせ、親もタジタジになるほどの勢いで東大生を質問攻めにした。
「すごく生き生きしていて、本人も本当に楽しかったと言っていました。その話を、ベンチャーキャピタルANRI代表の佐俣アンリさんとの雑談で話したところ、『もっとそういうことを事業にした方がいいんじゃない?』とアドバイスされたんです。振り返ると、それまでの電子書籍やアプリ開発は、結局のところどういうビジネスならもうかるかという発想で考えたもので、自分の体重がかけられていなかった。でも、発達障害に関してはまさに自分ごとでもあるし、本当に困っている子どもや保護者の課題解決に直結する。だから絶対に自分がやるべきだという強い気持ちが湧いてきました」
ただ、中里氏は発達障害の子を持つ親という当事者ではあるが、話の中に悲壮感のようなものはほとんど感じられない。息子が診断を受けた時も「へえ、そうなんだ」程度にしか思わなかったという。
「だって、どういう診断名がついても僕の目の前にいる息子はこれまでと変わりませんから。発達障害には『障害』という名前がついていますが、僕はあんまり『障害』とは捉えていないんです。『ちょっと変わってる』『ユニークな奴』というだけ。そもそも、生まれた頃から僕にそっくりだなと思っていました」
サイバーエージェントに入社後すぐに生まれた長男の子育ては、忙しさにかまけて妻に任せきりだったが、時折、妻から「落ち着きがなく、すぐに目の前から消えて迷子になってしまう」「オタク的」と聞いていた。実際、長男と話すと、電車の名前を片っ端から記憶していたり、大人が見るようなアニメにはまったりして驚くこともあったが、オタク的要素は自分にも大いにあった。
中学の頃から本と漫画にハマり、本は年間200冊以上、漫画は1000冊以上読む。東京都立青山高校時代は月8万円ほどあったアルバイト代の半分を古本と漫画につぎ込み、早稲田大学の第二文学部(現文化構想学部)に進学してからは、世界の民話全集や民俗学、宗教学関連の本に没頭。一方で、映像制作にものめり込み、ビデオジョッキー(VJ=クラブやレストランなどで音楽に合わせてスクリーンに流れる映像を演出する人)として、学生ながら週2ペースであちこちのクラブやイベントに呼ばれるほどだった。
「メモ魔」でもある。サイバーエージェントに入社前には7つものブログを同時に書き、今も見た映画から読んだ本、日々の思考まであらゆることを書き留める。だから息子の言語理解能力の高さや、とうとうと語る話しぶりにも共通点を感じた。
人と違うこと、変わっていることをネガティブに捉えないのは、自身の育ちとも無縁ではない。後半では、中里氏がどんな環境で育ったのかを振り返りつつ、息子と東大レゴ部に行った後、Branch を立ち上げた経緯やこの事業にかける思いを紹介する。
(ライター 石臥薫子)