「21世紀のかぐや姫」へ 宇宙飛行士に挑む26歳研究員
キャリアコラム日本の進学校の理数系は世界トップクラスの水準だ。渋渋では自信喪失気味だった小仲さんだが、ここでは高3の授業を受け、各クラブの〝ボス〟たちからも一目置かれる存在となった。当時は11年の東日本大震災の直後で、復興支援のための日本文化の普及活動にも加わり、「日本人というアイデンティティーが生まれた」。
天文学の授業も受け、念願の宇宙事業にも触れた。知人の父親がNASAの関係者でゴダード宇宙センターの見学が実現した。「ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡」などを製作する中核研究施設だ。巨大な望遠鏡のある施設を見て、「うわ、キラキラしている」と宇宙への夢を新たにした。帰国時に同校から優秀な生徒の一人として表彰された。
自調自考の渋渋、積極的に課外活動も

渋谷教育学園渋谷中高の高際校長
「なんか性格変わったね。明るくなったよ」。高2の夏、渋渋に戻ると、同級生たちからこう言われた。日本の高校の場合、留学すると、1学年下がるケースが多い。しかし、渋渋でそんなことはない。
高際伊都子校長は、「学校側は留学サポートの十分な体制を整えている。海外体験は生徒を大きく成長させる。小仲さんもその一人。当時から宇宙飛行士になりたいと、常に前向きだった」と振り返る。渋渋時代にJAXA関連イベントにも参加した。「自調自考」教育を推進する渋渋は、生徒本人の自主性を重視し、課外活動も奨励している。
東北大で航空宇宙工学、米欧にも留学
東北大工学部に進んだ。宇宙ロボットの第一人者、吉田和哉教授のもとで航空宇宙工学を専攻したかったからだ。吉田教授は、民間発の月面無人探査チーム「HAKUTO」の技術責任者として知られている。
ただ大学入学後の方が過酷だった。260人あまりの学科生のうち吉田教授の研究室には入れるのはわずか5人。猛勉強して吉田門下生になった。研究室は3人に1人が留学生のタイバーシティな空間だった。外国籍の学生とも一緒になって、人工衛星など航空宇宙工学の研究に邁進した。